マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

聖霊降臨後第5主日 聖餐式 『隣人となられる神』

 本日は聖霊降臨後第5主日です。新町の教会で聖餐式を捧げました。
 聖書箇所は、申命記30:9-14とルカによる福音書10:25-37。「善きサマリア人のたとえ」から、神様が「見て、憐れに思い、近づいて」隣人となられることに思いを馳せ、憐れみの行いを続けることができるよう、祈り求めました。ゴッホの絵画「善きサマリア人」も活用しました。

   隣人となられる神

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン
  
 本日は聖霊降臨後第5主日(特定10)です。福音書の箇所はルカ10:25-37で、有名な「善きサマリア人のたとえ」です。 
 今日の箇所を振り返ります。この箇所は大きく二つに分かれます。まず25-29節です。ここが第1部です。
  ある律法の専門家がイエス様を試すために、「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」と聞きます。「永遠の命」は、聖書では、天の国とか、神の国とか、救いという言葉と同じ意味で使われています。
 「律法の専門家」とは、旧約聖書の律法に永遠の命に至る救いがあることを信じ、学んでいた人です。さらに、律法の教師として民を指導していました。ですから自分は救いに至る道を知っているという自負があったと思われます。イエス様は、逆に、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」と問い返します。それを受けて、律法の専門家は、「『心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」と答えました。これは、ほぼ前半は申命記6:5、後半はレビ記19:18からの引用です。イエス様は「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」とおっしゃいました。
 それに対して、この専門家は、今度は自分を正当化しようとして、もう一つの問いを発しました。「では、私の隣人とは誰ですか」と。私が愛する隣人とは誰なのかと問うのです。「自分を正当化しようとして」の表現から、隣人の範囲、つまり「同胞ですよね」というニュアンスが感じられます。
 ここまでの所が前半です。少し解説します。
 原文のギリシャ語では、25節で律法の専門家が言った「何をしたら」は「何をただ一度行って」という意味の分詞形で書かれていました。ですから、律法の専門家はただ一度で永遠の命を得る行為は何かとイエス様に尋ねたことが分かります。そのことに対するイエス様の答えは28節で「実行しなさい。」と言い、原文では「行い続けなさい」と継続・反復を意味する形で書かれていました。つまり、律法の専門家の質問は一回の行為を表しているのに、イエス様は継続的な行いを命じているとみることができるのです。イエス様は「それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と命じておられます。それとは『心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』ということで、それを継続的に行うことで永遠の命に至る救いが得られると、イエス様はおっしゃっておられます。ここでは、誠心誠意、全精力でもって「神を愛し隣人を愛し続ける」ことが求められていると言えます。律法に込められた神様の思いを行い続けるとき、人は永遠の命を受け継ぐことになるのです。
 それに対して、律法の専門家は「では、私の隣人とはだれですか」と隣人の範囲を聞いてきました。この背景には、新約聖書の時代となり、民族主義が高まるにつれ、他民族は隣人から除外される傾向が強まっていたことがあります。
 
 そして、イエス様は「善きサマリア人のたとえ」をお語りになりました。第2部に入ります。こんな話です。
 ある人がエルサレムからエリコに向かっていく途中に追い剥ぎに襲われて道で倒れます。この人について何も記していませんが、ユダヤ人と考えられます。そこに、先ず祭司が通りかかります。祭司というのはユダヤ人社会における宗教的な指導者です。エルサレム神殿で儀式を執り行う、非常に地位の高い人でした。しかし、倒れている人を見ると、反対側を通って行きました。続いて、神殿で祭司を補佐していたレビ人が通り掛かるのですが、同じように、反対側を通って行きました。三番目に、当時、ユダヤ人と敵対しユダヤ人から見下されていたサマリア人が通り掛かります。このサマリア人は、道端で倒れているユダヤ人に目を留めて、気の毒に思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ、包帯をし、自分の家畜(ロバか馬)に乗せ、宿屋に連れて行って介抱し、その代価を払ったのです。このサマリア人は精一杯の消毒や手当を行い、さらに、宿屋の主人に「費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」とまで約束したのです。

 この「善きサマリア人のたとえ」を描いた絵画はたくさんありますが、私が思い浮かべたのは、ゴッホのこの作品です。

 彼は小柄な若い男性を抱き上げる、たくましいサマリア人を描いています。ゴッホの特長である黄色や黄土色にうねる線が一種の迫力を生み出しています。画面の左には道を立ち去るレビ人、その先に祭司の姿が見えます。

  たとえの後、イエス様はこの専門家に次のように問いかけます。「さて、あなたはこの三人の中で、誰が追い剥ぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法学者は、「その人に憐れみをかけた人です」と答えます。それに対して、イエス様は、「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われました。これは28節の「実行しなさい」と同様に継続・反復の意味が込められています。さらに「あなた」も強調されていますので、「あなた自身が行い続けなさい」とイエス様は命じておられることが分かります。助けを必要とする人の隣人になるのは他の誰かではなく「あなた自身」であり、憐れみを行うという生き方を続けていくことが求められています。

 有名なたとえ話で、日曜学校でもよく話をして、この話は、「誰でも隣人ですよ。だから困っている人を助けましょう」という話と思っていたところがありますが、今回原文に忠実に読み直して、新たな視点が与えられました。
 祭司とレビ人は追い剥ぎに襲われた人を見て、反対側を通って行ったとありますが、その理由は書かれていません。おそらく重要でないと思われたのでしょう。原文では「その場所に来て、そして見て」「反対側を通り過ぎて行った」とありました。場所に関心があり「追い剥ぎに襲われるような危ない場所だから、そこを避けた」というニュアンスで、倒れた人に目が向いていませんでした。しかし、サマリア人は「その人を見て気の毒に思い、近寄っ」たのでした。原文では「見て、憐れに思い、そして近づいた」とありました。サマリア人は傷ついた人に関心を持ち、彼に目を留め、憐れに思い近づいていき、介抱したのです。
  ここで「気の毒に思い(憐れに思い)」と訳された言葉は、以前にもお話ししましたが、ギリシア語で「スプランクニゾマイ」という言葉です。この言葉は「スプランクナ(はらわた)」を動詞化したもので、「人の痛みを見たときに、こちらのはらわたが痛む」「はらわたがゆさぶられる」ことを意味する言葉です。 新約聖書ではこの言葉「スプランクニゾマイ(憐れに思い)」によってイエス様や神様の業、行動が導かれています。 
 「気の毒に思い(憐れに思い)」は群馬弁で言えば「おやげねー」ということでしょう。ギリシア語の「スプランクニゾマイ」の意味に合う方言としては、沖縄の「ちむぐりさ(肝苦(ちむぐ)りさ・・・心が苦しい)」が思い浮かびます。人の心の痛みを自分のものとして一緒に心を痛めること。あなたの苦しみを自分の苦しみとする、そんな意味です。

 「善きサマリア人のたとえ」と同様に「その人を見て憐れに思い、近寄っ」てという言い回しが用いられている例としては、有名な「放蕩息子のたとえ(いなくなった息子のたとえ)」があげられます。ルカによる福音書15:20にこうあります。「そして、彼(息子)はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」放蕩息子の父親が息子を「見つけ」「憐れに思い」「走り寄って」という行いが表現されています。この父親は人を憐れむ神様を表していると思われます。二つのたとえの表現から、神様の愛は「見て、憐れに思い、近寄っ」て傷ついた人を命の危険から助け出し、生きる場を失った人に一方的に与えられることに、気づかされました。
 
 皆さん、神様は傷つき倒れる者を見過すことなく、「見て、憐れに思い、近づいて」隣人となってくださいます。この神様の愛に出会うとき、人は傷つく人の「隣人となる」ことができるのだと思います。
 憐れむ神様がそばに来ていることを語る「善きサマリア人のたとえ」は、神様の愛に支えられて、人は愛する者の隣人になることができると教えています。

 私はこれまで障害のある子どもや保護者の隣人として、教育やミュージックケアなど自分のできることで尽くしてきました。私には、その子らによって救われた経験があり、実はその子らは神様が私を愛するがゆえに姿を変えて現れてくださったと思っています。
 先日、ミュージックケアを昨年12月まで行っていた障害者施設の施設長から、「またセッションを再開してほしい」との連絡があり、明日からまた、月二回その施設で知的障害のある利用者とミュージックケアを行うことになっています。昨年ミュージックケアを行った「吾妻郡手をつなぐ親の会」からもまた依頼があり、9月にセッションを行います。このような活動を今後も続けていきたいと思っています。人には必ず、何かそのようなことが与えられていると思います。

 私たちは常に神様が「見て、憐れに思い、近づいて」隣人となってくださっていることに思いを馳せ、憐れみの行いを続けることができるよう、祈り求めたいと思います。

『「沖縄週間/沖縄の旅」に思う』

 今年の「沖縄週間」は6月20日~25日でした。先主日の説教でも触れましたが、私は22日(水)と23日(木)の両日、「沖縄週間/沖縄の旅Webプログラム」に参加しました。今回初めてこの旅に参加しました。これまでも関心はありましたが、なかなかこの時期にまとまった時間を取って沖縄に行くことは難しく、参加を見送っていました。しかし今回は、オンラインによる午後7時からの開催ということでハードルが低くなり参加できました。また、私は教区の人権担当で、今年、北関東教区が東京教区と協力して開催する「2022年人権セミナー」の準備委員であり、10月にこれもオンラインで行いますので参考にしたいという思いもありました。

 本土復帰及び沖縄教区移管50周年である今年のプログラムは、復帰の意味について思い巡らし、主イエス様のみ言葉に聴き、参加者一人一人が平和について歩み出すことを目指して構成されていました。今回はこれまでの「沖縄週間/沖縄の旅」の実施状況や反省を踏まえ、限られた時間内で様々な工夫をされたプログラムだったと思います。
 今回のテーマは「命(ぬち)どぅ宝(たから)~すべては神様の創られた大切な命~」、中心聖句は「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書 第13章34節)でした。

 以下、印象的だったことについて記します。
 まず、第1夜の「開会の祈り」に続く上原榮正沖縄教区主教様の「あいさつ」に大きな示唆をいただきました。主教様は日本の皇民化政策等の沖縄の歴史に触れ「復帰というが、どこへの復帰かという問いかけであり、平和憲法への復帰だったと思っている」と話され、この「沖縄週間/沖縄の旅」で「私たちが取るべき道を分かち合いたい」と期待を述べられました。
 続く、小林祐二司祭様による「アイスブレークの時間」は「ちむどんどん」等沖縄の言葉の紹介で、楽しく学ぶことができ、緊張を解く役割も果たしました。
 そして、「本土復帰についての証言」をお二人(聖職・信徒)からビデオで伺いました。高良孝誠司祭様のお話は、米国聖公会沖縄伝道教区から日本聖公会沖縄教区への移管について、「米国聖公会時代から礼拝も最初から日本語であり、大きな反対はなかったように思う」とのことでした。真喜屋明さん(島袋諸聖徒教会信徒)の「ぜひ沖縄に来て現状を見てもらいたい、一緒に礼拝をして陪餐を受け交流してほしい」との言葉が印象的でした。その後のグループシェアリングでは、6人ずつ7つのグループに分かれ、30分間分かち合いの時を持ちました。グループ内に沖縄の方もいて、50年前及び現在の様子を具体的に伺うことができ有意義でした。

 第2夜は、沖縄教区の仲宗根遼祐聖職候補生がご自身のお祖父様(81歳)にインタビューするビデオを見て、復帰前後の様子を知ることができました。復帰前に労組の反対運動があったことや「復帰して良かった」とお話されていました。
 続いて、「グループ別聖書の分かち合い」が「スウェーデン方式」で行われました。この方式については前々回のブログで詳しく説明しました。これにより、一人一人の参加者が中心聖句を自分との関係で思いを深めました。さらに、グループごとのまとめを漢字一文字で表すように課題が提示され、各グループでさらに沖縄や平和について分かち合い、私たちは「赦」としました。この作業はかなり難しかったです。

 今年の「沖縄週間/沖縄の旅」は、参加者一人一人が復帰50年を迎えた沖縄在住の方の思いを知り、平和について思い巡らすことができ、平和のために歩み出すきっかけになったと思います。ただ、私のように今回初めての参加者がいることを踏まえ、現在の沖縄の現実について、たとえば外から見た基地の様子や島における基地の占める面積の分かる映像等を見たかったと思いました。次回の「沖縄週間/沖縄の旅」では、実際に沖縄に伺い現状を見て、共に礼拝を捧げることができるよう祈ります。

 最後に、主日の礼拝でもお捧げした「沖縄週間の祈り」を記します。祈ります。
『歴史と生命の主である神よ、わたしたちを平和の器にしてください。
 嘆きと苦しみのただ中にあなたの光を、敵意と憎しみのただ中にあなたの愛と赦しをお与えください。 
 わたしたちの出会いを通して悲しみの中に慰めを、痛みの中にいやしを、疑いの中にあなたへの信仰を、主よ、豊かに注ぎ込んでください。
 この沖縄週間を通してわたしたちを新たにし、あなたの示される解放と平和への道を歩む者としてください。
 わたしたちの主イエス・キリストのいつくしみによって、このお祈りをお献げいたします。 アーメン』

 

聖霊降臨後第4主日 聖餐式 『主にある平和を宣べ伝える』

 本日は聖霊降臨後第4主日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。
 聖書箇所は、イザヤ書66:10-16とルカによる福音書10:1-12、16-20。主イエス様の示された「平和」について理解し、私たちが主にある平和、イエス様によってもたらされる祝福を宣べ伝えることができるよう祈り求めました。8月13日(土)にシンポジストの一人を私が務める「群馬県カトリック平和旬間行事」や上毛かるたの「平和の使い、新島襄」にも言及しました。

   主にある平和を宣べ伝える

<説教>
父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 本日は聖霊降臨後第4主日です。
 本日の福音書ルカによる福音書10章1節以下で、イエス様により72人が二人ずつ派遣される部分と彼らの帰還の記事が記されています。それは平和がもたらされること、また同時に裁きの時でもあることが語られます。旧約聖書イザヤ書66章10節以下で、神がイスラエルに「平和を大河の流れのように」与える(12節)と共に、その内の不信仰者には裁きをもたらされる(16節)ことが記されています。
 一般的には、「平和」は、「戦争状態にある」という意味の反対語として使われているようです。では、聖書や祈祷書が言う「平和」とは、どういうことなのでしょうか?

 本日は福音書を中心に、特にキリスト教における「平和」ということについて思い巡らしたいと思います。
 イエス様には、12人の弟子がいて、いつも行動を共にし、イエス様は彼らを教育し、訓練していました。本日の福音書は、イエス様が、さらに72人の弟子を選んで、任命し、彼らを宣教のために派遣されたことが、記されています。
 イエス様は、この72人を、ご自分が行こうとする地域へ、神の国を告げるイエス様の先駆けとして、派遣されました。72というのは当時考えられていた外国の民族の数です。そうであれば、イエス様は全世界に向かって宣教を考えていたということです。
 イエス様は、その時に、「行きなさい。私があなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り込むようなものである。財布も袋も履物も持って行くな。誰にも道で挨拶をするな。」(3・4節)と、派遣される人たちに、使命と、細かい注意を与えて送り出されました。

 神の国やイエス様のことを宣べ伝えようとして、その土地の人の家に入ったら、まず、「『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子(すなわち、神様のみ心にかなう者)がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」(5・6節)と言われました。
 ここでは、宣教する者の喜びが表現されています。平和のメッセージが受け入れられれば、それは大きな収穫であるし、拒絶されてもその平和は宣教する者に戻って来るからです。
 この箇所で、イエス様は、まず『この家に平和があるように』と挨拶しなさいと言われ、何回も「平和」という言葉を繰り返しておられます。
 この「平和」という言葉は、以前もお話ししましたが、ヘブライ語で「シャローム」、ギリシャ語では「エイレーネー」という言葉で、これは「何も欠けていない状態、そこなわれていない、十分に満ち足りている状態」を指しています。そこから、無事、平安、健康、繁栄、安心、和解などを意味しています。単に、「戦争でない」とか「穏やかに」というだけではない、「真に望ましい、救いに満ちた状態」を表す言葉です。この平和は、人間が作り出すものではなく神様が与えるものです。
 イエス様によって派遣された弟子たちは、どこかの家に入ったら『この家に平和があるように』と祈るよう命じられています。平和は神の国が到来したことによってもたらされる祝福です。神様のみ心にかなう人がそこにいるならその人は祝福され、祝福を受ける人がそこにいない時は、自分に帰ってきて自分が祝福されるというのです。

 最近、キリスト教でも仏教でも、多くの宗教は、「平和」を重視しています。ここ前橋でも、毎年8月5日に多くの宗教者や市民が一緒になって「前橋空襲一斉慰霊の祈り」を捧げています。
 多くの人々が、「平和でありますように」と願い祈るのは好ましいことですが、一波踏み込んで、私たち、キリスト者にとっての「平和」とはどういうことなのかと考えるのは意味あることと思います。
 私は先日、6月22日(水)と23日(木)の両日、午後7時からのオンラインによる「沖縄週間/沖縄の旅」に参加しました。沖縄からの証言、そして聖書研究や分かち合いを通して、平和について思いを深めました。
 また、週報の「報告・連絡」の終わりに記しましたが、群馬県カトリック平和旬間行事が8月13日(土)にカトリック前橋教会で行われ、シンポジストの一人を私が務めます。この行事のテーマは「キリスト者にとっての平和の志向」です。

 ここでも、キリスト者にとっての「平和」についての示唆が与えられるものと思います。なお、この行事は入場を40名に限定しているそうですが、マッテア教会用に5席用意してくださっているとのことですので、参加を希望される方は私に申し出てください。

 ところで、私たちが、毎主日行っている聖餐式の中の「平和の挨拶」では、司祭が「主の平和が皆さんとともに」と言うと、会衆が、「また、あなたとともに」と答え、司祭と会衆、会衆と会衆が、互いに「主の平和」と唱えながら、会釈をして挨拶を交わしています。
 聖餐式の中で、なぜ、このようなことをするのでしょうか? 私たちが、聖餐式の中で、互いに交わす「平和の挨拶」は、どのような意味を持っているのでしょうか?

 祈祷書の中にある、私たちが交わす言葉は、「主の平和」です。「主の平和」とは、「主にある平和」です。主によってもたらされる平和です。神様と、私たちの関係が、どのような状態にあるかを尋ね、求め合っている挨拶なのです。神様のみ心にかなうところに、本当の正義、すなわち義があります。反対に、神様のみ心に背いている状態は、義の反対です。それは、罪です。罪の状態、神様に背いているとき、そこには、本当の平和はありません。
 イエス様が求めておられる「平和」は、単に、仲良くしましょう、優しくしましょう、というようなものではありません。イエス様の命令は、もっと、もっと厳しいのです。イエス様を信じて生きようとすると、イエス様にすべてを委ねようとすると、必ず、あつれきや葛藤が起こります。
 しかし、そのあつれきや葛藤の向こうに、本当の平和があることを、指さしておられます。

 「主の平和」、「主にある平和」、それは「主イエス・キリストが、十字架に架けられることによって与えられた平和」であり、「主イエス様によって与えられた恵みと感謝に溢れる平和」であります。
 そのような思いを込めて、「主の平和があなたと共にありますように」と、私たちは、毎主日、挨拶を交わすのです。
 イエス様の弟子たちが、「平和がありますように」と言って挨拶を交わし、主が来られることを告げたように、私たちも、心して、挨拶を交わしたいと思います。

 皆さん、イエス様は弟子たちを全世界に派遣するに当たって「まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。」とおっしゃっています。これは祈りであり、「神様からの救いが満ちるように、恵みと祝福がありますように」との祈りです。
 イエス様は弟子たちに、そして私たちに、そのように祈る「平和の使徒(平和の使い)」になることを求めておられるのです。
 「平和の使い」と言えば、群馬県で育った人なら誰でも知っている上毛かるたの読み札「平和の使い、新島襄」を思い浮かべます。

 ここでの「平和」も単に戦争状態でないということではなく、「イエス様によってもたらされる恵みと祝福」のことだと言えます。それを宣べ伝えるのが「平和の使い」であり「平和の使徒」であると思います。仏教の力の強い京都に同志社というミッションスクールを創立するなど、主にある平和を宣べ伝えた新島襄には多くのあつれきや葛藤がありました。彼は、そのあつれきや葛藤の向こうに主の平和を見ていた「平和の使い」でありました。私たちもそのような「平和の使徒(平和の使い)」になるよう求められているのであります。
 しかし、それは自分の力でなれるものではありません。私たちが「平和の使徒(平和の使い)」にしていただけるよう、そして私たちが主にある平和、イエス様によってもたらされる恵みと祝福を宣べ伝えることができるよう祈り求めたいと思います。

 

『グループ聖書研究の一方法~スウェーデン方式』

 昨年5月からリモート(Zoom)による「聖書に聴く会」を、原則として毎週水曜午後8時から行っています。その週の主日に読まれた聖書(主に福音書)箇所を参加者と丁寧に読み進め、主の御心を尋ね求めています。この会には求道者や未信徒の方も含め、一時は10名近くの方が参加していましたが、先週(21日(火))は私を含めて3名の参加者でした。用事があったり体調が優れなかったりということで、不参加の連絡をしてくださる方もおられますが、参加者が減ってきた一因は、知識偏重であまりに専門的になりすぎたこともあるように感じていました。
 そのような折り、沖縄週間/沖縄の旅Webプログラムの第2夜のブレイクアウトルームで「グループ別聖書の分かち合い」がありました。それは「スウェーデン方式」で行われ、参加者一人一人が聖書のみ言葉を自分との関係で思いを語っていました。
  「スウェーデン方式」は、神学校でグループ聖書研究の一方法として学びまたが、今回久しぶりに体験して、なかなかいい方法だと思いました。

 確か、何かの小冊子に「スウェーデン方式」について記してあったと思って探したら、この本の中にありました。『聖書研究の方法と実際-付 読書会の持ち方』です。

 この小冊子の著者は関本肇、V・I・ゴーリング、森一郎各司祭で、発行日は1970年7月20日、定価はなんと100円でした。
 この本の中にこうありました。
『グループ聖書研究とは、グループによってある章句を一緒に研究し、その聖書の意味が何であるかを確かめることです。リーダーが必要ですが、リーダーの役割は、聖書を講義することではありません。
 聖書研究を指導する場合に覚えておくと非常に役に立つ三つの事を言いましょう。
 (1) この章句は神について何を語っているか。神と人間社会、そして神と私自身との  関係について何を教えているか。
 (2) この章句を私の住んでいる社会、私のいる教会にどう適応するか。
 (3) この章句を、私の生活、私の、神と隣人への義務という点でどう適用するか。
 聖書研究の目的は、この三つの問いかけについて共に考えることなのです。
 <リーダーの役割>
 (中略)
 あなたが指導するグループで話す時間の量を調べて、もしあなたの話す時間が、全体の25%なら良いと思います。これには最初の説明も質問も、全てを含んでのことです。時間の35%を使うとすれば、それはよくないリーダーです。もし時間の50%を使うならそれは講義であって、聖書研究をしているのではありません。
 <方法>
 (方法A~方法Cは略)
[方法D]スウェーデン方式
第1段階=リーダーができるだけ上手に読みます。各節を順番に、メンバーが読んでもいいのですが、それは、最初から聖書研究をするのは、自分たちの仕事であるという意味でそうするのです。章句は短いものがよろしい。
第2段階=前三者と異なり、リーダーは説明しません。
第3段階=聖書に(或いは別紙に)次の三つの印をつけます。(15分)
 ? 自分が質問したいと想う所。(よく分からない所、賛成できない所)
 → 自分の良心に訴え心を刺されると思う所。(行動へとかりたてる所)
    ☥  何べんか読んだあとで、新しく意味を見出した所。(その聖書の箇所の理解に光を投げかけると思う所、又自分の問題に光を与える所)
第4段階=メンバーがどんな印をつけたかを発表し、リーダーはそれを記録します。リーダーは?の印についてメンバー全員に聞き、ついで→と☥というように一つの印ごとに全員に尋ねていくと時間の節約になり、しかもグループのその箇所の理解の傾向が分かります。
第5段階=リーダーはまずなぜそのような疑問が出たのか、なぜ分からないのか、なぜ賛成できないのかポイントをはっきりさせます。そして同じ箇所に他の印をつけた人に、なぜその印をつけたのかを説明してもらい、互いに助け合う形で討論を導きます。みんなが同じ箇所に?をつけた時には、リーダーが説明した方がよいでしょう。
第6段階=リーダーは短くまとめをします。もしメンバーが触れなかった重要なポイントがあれば、リーダーはそれも話したらよいのです。
 この方法は、スウェーデンのYMCAが用いていたので「スウェーデン方式」といいます。これは聖書研究の初心者に適当で、たとえ話や使徒書の研究に用いると良いと思います。』

「聖書研究の目的は共に考えること、リーダーの話す時間が全体の50%を使うならそれは講義であって、聖書研究ではない。」など、反省を促されます。
 グループ聖書研究は、バイブル・シェアリング「聖書の分かち合い」が大切と思いました。み言葉をじっくり読み、一人一人がどう感じたかを伝え合い、聴き合う。これらにより、新たな気づきを得ることができるようになると考えます。

 沖縄週間/沖縄の旅の「グループ別聖書の分かち合い」での「スウェーデン方式」の流れは、以下のようでした。
  ①    聖書輪読
  ②    黙読しながら印をつける
    ・なるほど(共感)    →
    ・分からない(不明)   ?
    ・感動した(心に響いた)  ☥
  ③    一人ずつどこに印をつけたか発表する。
  ④    自由に分かち合う(ディスカッション)
 冒頭述べたZoomで行っている「聖書を聴く会」は次回、この方法でやってみたいと思います。それにより、参加者が受け身でなく、聖書を身近に感じ、一層神と親しく交われるのではないかと思います。

 

聖霊降臨後第3主日 聖餐式 『主イエス・キリストの道に従う』

 本日は聖霊降臨後第3主日です。新町の教会で聖餐式を捧げました。
 聖書箇所は、列王記上19:15-16、19-21とルカによる福音書9:51-62。主イエス様に従う道は、私たちを「この世の執着」から解放し、救いを得させる道であることを理解し、神の国と神の義を第一として、キリスト者であり続けられるよう、聖霊の導きを祈り求めました。この道を歩むことを歌った聖歌の歌詞を確認し、その曲の入った「こども聖歌」も紹介しました。

   主イエス・キリストの道に従う

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 本日は「聖霊降臨後第3主日」です。北関東教区では毎年「聖霊降臨後第3主日」を「児童の日」として、日曜学校・教会学校の働きや教会に集う子供たちのために祈り、子供に関わる様々な事柄について思いを馳せることとしています。私は前橋の教会ではずっと日曜学校の教師をしていましたが、私が神学校に行っている間に、前橋も子供たちがいなくなり日曜学校もやめてしまったとのことです。この「児童の日」にあたり、教会に子供たちがもっと集うことができるよう、また、子供の貧困や虐待やいじめ等、子供に関わる様々な事柄を教会の課題として考える機会にできるといいと思います。

 さて、本日の福音書は、ルカによる福音書9:51-62です。
 51節に「天に上げられる日が満ちたので、イエスエルサレムに向かうことを決意された。」とあります。主イエス様がエルサレムに上ろうと決意されたのは、天に上げられる日が近づいたからだったのです。イエス様が天に上げられる、それは、イエス様が復活して天に昇られたことによって実現しました。しかしそのことが起る前には、十字架につけられて殺されるという受難があるのです。「天に上げられる」という言葉は受難をも含んでいると言えます。十字架の死と復活と昇天によって天に上げられる、その時がいよいよ近づいたことをイエス様は悟り、そのことが起こる場所であるエルサレムへと向かう決意を固められたのです。
 そのようにしてエルサレムへの旅が始まったわけですが、この旅においてイエス様は、52節にあるように、「先に使いの者たちをお遣わしにな」りました。エルサレムへの旅において、弟子たちは主イエス様の先駆けとして遣わされたのです。主イエス様はサマリアを通って旅しており、弟子たちもサマリア人の村へと先に派遣されました。53節に「しかし、サマリア人はイエスを歓迎しなかった。イエスエルサレムを目指して進んでおられたからである」とあります。これは、当時ユダヤ人とサマリア人との間にあった対立によることです。それには歴史的な背景があり、簡単に言えばサマリア人というのはユダヤ人と異邦人の混じりあった民族で、ユダヤ人たちはサマリア人を不純な民として軽蔑しており、サマリア人もそれに対抗してエルサレムとは違う場所に自分たちの礼拝の中心を置いていたのです。そこでエルサレムへと上っていくユダヤ人であるイエス様と弟子たちの一行をサマリア人が歓迎しなかったのであり、これはイエス様とその弟子だから、という理由ではありません。いずれにせよ、イエス様と弟子たちの一行はサマリアの人々に歓迎されなかった、むしろ敵意を持って迎えられたと考えられます。
 そういうサマリア人の敵意に対して、弟子のヤコブヨハネが、こちらも敵意を持って振る舞おうとしたのが54節です。彼らは「主よ、お望みなら、天から火を下し、彼らを焼き滅ぼすように言いましょうか。」と言いました。ここには、当時のユダヤ人がサマリア人に対して抱いていた感情が現れていますが、同時にこの二人の弟子の性格も現れています。ヤコブヨハネは兄弟ですが、彼らは主イエス様から「雷の子」と呼ばれたということがマルコ福音書に語られています。それは彼らが短気で、時々癇癪を起して怒り出すような人だったということでしょう。この時も彼らは、自分たちに敵意を向けるサマリアの人々に対して激しく怒り、「こんなやつらは滅ぼしてしまいましょうか」と言ったのです。しかしイエス様は、「そんなことを言ってはいけない」と彼らをお叱りになったのです。
 
 主イエス様の弟子となってイエス様に従うとはどのようなことなのか、ということが57節以下に語られています。ここには、イエス様に従っていこうとした三人に対するお言葉が並べられています。最初の人は「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言いました。すばらしい信仰の決意表明です。しかしイエス様はこの人の決意に水をさすように、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言われたのです。「人の子」とはイエス様がご自身を指して言われる言葉です。「あなたは私の行く所ならどこへでも従って来ると言っているが、その私には枕する所もないのだ、安住の地のない、心の休まる暇もない歩みをしていくのだ、その私に本当に従えるのか」というお言葉です。捕えられ、十字架につけられるためにエルサレムへと向かうイエス様の旅はまさにそのような枕する所もない歩みです。主イエス様に従うとは、イエス様のこの旅路を共に歩むことなのです。
 二人目の人には、イエス様の方から「私に従いなさい」と声をおかけになりました。これが、主イエス様が弟子を招く方法です。するとその人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言いました。イエス様は「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。しかし、あなたは行って、神の国を告げ知らせなさい」とおっしゃいました。父親の葬式を出すことは、私たちの社会でも同じですが、当時のユダヤ人たちの間でも、子供としての最大の義務とされていました。しかしイエス様は、主イエス様に従うことを父親の葬式を出すことよりも優先せよ、とおっしゃるのです。そのくらいの思いを持っていないとイエス様に従って生きることはできない、というのです。
 三人目の人においても同じようなことが語られています。その人は、「主よ、あなたに従います。しかし、まず私の家の者たちに別れを告げることを許してください。」と言いました。しかし主イエス様は、「鋤に手をかけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」とおっしゃたのです。鋤は農地などを開墾するための道具で、この時代は片手で牛を操作しながらもう一方の手で舵を取らなければならなかったようです。当然、後ろを向けば十分に操作はできません。本日の旧約聖書日課で、エリシャも牛を使って鋤に手を掛けていました。列王記上19-21では、エリシャは父母へのいとまごいを願い、エリヤはそれを聞き入れています。しかし、イエス様は、その願いは「神の国にふさわしくない」とお答えになりました。イエス様は、「家族に別れを告げようとすることは、鋤に手をかけてから後ろを顧みるような未練がましいことだ、そういう思いを断ち切るのでなければ、神の国にふさわしくない」と言っています。つまり、イエス様によってもたらされる神の国に預かる信仰者は、家族との関係よりも、主イエス様に従うことの方を大切にすべきだ、というのです。

 この57節以下に語られているのは大変厳しいことです。主イエス・キリストに従うことが私たちの信仰であり、そこにはこのような厳しさが伴うのです。父を葬りに行くとか、家族にいとまごいに行くというのは、人間として最も大事な、なすべきことです。それは当然優先にされるべきだと誰でも思うものです。私たちは、そういう、当然優先されるべきことを他にもたくさんかかえています。この世を生きる者として、この社会の一員として、いろいろな責任を負っている者として、「これは優先にしないと」ということはいくらでもあります。そういう現実の中で私たちは、主イエス様に従おうと思いつつも、いつしかそれを二の次・三の次にしてしまう傾向があるのだと思います。イエス様のこの厳しいみ言葉は、そのような私たちに、本当に大切なことは何か、何を第一とすべきなのかを教えています。それは何でしょうか? それは神の国、そして神の思いを第一とすることであると考えられます。ルカではなくマタイの福音書ですが「まず神の国と神の義とを求めなさい。(6:33)」とあります。今日の福音書箇所の最後のみ言葉「鋤に手をかけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」。私たちはこのみ言葉をしっかりと受け止める必要があると考えます。
 
 今日の福音書は、主イエス様に従う者に求められる心構えと覚悟について教えていると考えます。極端な物言いをしていますが、ここは、父の葬式を出している暇があったら宣教せよ、とか、家族のことは放っておいてイエス様に従え、ということではありません。主イエス・キリストに従う者は優先すべきことが普通とは違っているということです。主イエス・キリストに従う者とはキリスト者、クリスチャンのことです。キリスト者は、父を葬るとか、家族にいとまごいをすることに象徴されている親や家族との関係から出て、一人の人間として主イエス様と共に生きるのです。言い換えれば、キリスト者であるということは、私たちが生まれつき属している集団、その中で自然に共有されている考えや感覚、常識など、言い換えれば「この世の執着」から離れて、主イエス・キリストと共に生きることにおいて与えられる新しい意識、感覚、思いや志に生きていく一筋の道なのであります。

 本日の礼拝の入堂で歌った聖歌457番をご覧ください。この聖歌は「こども聖歌」の第4番であり、かつて日曜学校で子供たちと声を合わせて歌ったことを思い出します。

1、主に従い行くは いかに喜ばしき 心の空晴れて 光は照るよ
  み跡を踏みつつ 共に進まん み跡を踏みつつ 歌いて進まん

 主に従い歩む道は喜ばしい道、光に照らされた道です。イエス様は私たちをこの道に招いておられます。この世の論理や常識からすると、その道はあまりに厳しく「社会の一員としてどうなのか」と感じられることもあるかもしれません。しかしその道は、私たちを「この世の執着」から解放し、救いを得させる道、神の国に至る道なのです。そのことを心に留め、日々、神の国と神の義を第一として、私たちが常に主イエス・キリストに従っていく者、キリスト者であり続けることができるよう、聖霊の導きを共に祈り求めたいと思います。

 

『私にとっての三浦綾子の一冊』

 前橋ハレルヤブックセンターで「三浦綾子生誕100年記念フェアー」が5月30日(月)〜6月30日(木)まで開催しています。そして、「私の三浦綾子の一冊」を語る会が、6月22日(水)午後1時から前橋ハレルヤブックセンターにて行われました。昨日の朝日新聞群馬版にもこのことの記事がありました。
 私もその会に参加しましたが、1時半から評議員をしている社会福祉法人評議員会があったので、「開会の祈り」を捧げ自分の「三浦綾子のこの一冊」を紹介し、1時10分くらいに書店を後にしました。後から福島店長さんに電話で伺ったところ、この会には11名の参加者があり、それぞれの方が御自分にとっての三浦綾子の一冊紹介され、本は多岐に渡ったとのことでした。
 私にとっての三浦綾子のこの一冊は、「光あるうちに」や「塩狩峠」等も考えましたが、この星野富弘さんとの対談録『銀色のあしあと』を選びました。私の持っている本は、「百万人の福音スペシャル」で発行日は昭和63年10月1日です。『銀色のあしあと』は現在新装版が刊行されていますが、私の持っているバージョンには写真がたくさん掲載され、かなりヴィジュアルに訴える内容となっています。

 この当時、三浦綾子星野富弘さんも月刊誌『百万人の福音』に連載を持っていました。富弘さんは巻頭の詩画、綾子さんは『風はいずこより』に収録されるエッセイでした。 

 『銀色のあしあと』の冒頭に綾子さんの「祈り(1988年5月20日)」があります。
   私の一生に、このように素晴らしい日をいただけたことをありがとうございます。星野さん、お母さん、奥さん、ごきょうだいの方々、おひとりおひとりの今までの大変な日々や恵まれた日々それらすべてが本当に素晴らしい花のように、今、神の前に捧げられていることを思って、感謝いたします。 三浦綾子

   最初の「自然は最高の教師」の項目にはこのような文章があります。
『星野 小さな花でも描いていると、だんだん大きくなって、反対におれは虫のように小さくなって、花の中を歩いているんです。それから、花を描いているようで、実は自分を描いているんですね。虫食いの穴があったり、汚れていたりしているのは、まさに、自分の姿なんです。』
 富弘さんの詩画を製作する秘密を知る思いです。

 富弘さんが闘病中にキリストに出会った経緯が、「神さまの布石」の項目に次のように記されています。
『星野 『塩狩峠』の本を持って来てくださったのは、病院で検査技師をやっていたクリスチャンのかたです。その前には米谷さんという大学の先輩がいて、聖書を持って来てくれた。それが、そもそもの初めなんですね。でも、あれですねぇ神さまというのは、時には遠回りをさせて、いつの間にか味なことをされるなあと思いますね。本にも書いたことがあるんですけど、裏の畑の土手に小さな十字架が建ったんです。それに、『労する者、重荷を負う者、我に来たれ』という文句が書いてあって、それを、高校1年生のとき見つけたんですね。豚の肥やしをかごでしょい上げているとき、いきなり目の前に現れて、それが聖書の言葉との最初の出会いでした。たまたま豚の肥やしという重荷を負ってましたから、その『労する者、重荷を負う者』という言葉は印象的でした。(笑』
 富弘さんの信仰生活の最初に三浦作品があり、神様の導きがあったことが分かります。

 「人間はどこから」の項目にこうあります。
『三浦 私もむやみやたらと病気ばっかりしてましてね。問題は、どこから来たかわからないけど、神さまのみこころによってこの世に生まれた。そして、どこに行くのかということも、神さまのおっしゃるとおりであれば、神さまが備えてくださるところへ行くわけでしょう。私には、それがどこであるかわからないけれども、神さまがいらっしゃるから安心だって思うのよ。(中略)神さまがなさることだから、風はいずこより、人間はどこから来て、どこへ行くのか、それも神さまは知っていらっしゃる、とそう思うんです。
星野 どこへ行くかわからないけど、神さまは自分が死んだあともいてくださる。いつも誰かが見ていてくださるというのは心強いですね。誰も知らないで何か喜んだり大事(おおごと)をしたりするよりも、誰かいつも、そばで見ていてくれるというのは・・・。』
 ここには、キリスト教の死生観が分かりやすい言葉で示されています。

 「苦しみに会ったことは」の項目にこう記されています。
『三浦 私は“小説”を書いているつもりはないのね。伝道するつもりで書いているの。だから、たとえ小説として出来が悪くても、それを読んで教会に行くようになったなんてう人がいれば、私の目的は達するわけ。
星野 おれも、自分のかいたものを読んでくださったかたが、次に聖書を開いてくれればと思っています。』
 ここから、二人の作品創作の原点が「伝道」にあることが分かります。

 この他にもこの対談録には目を惹かせる珠玉の言葉、そして神さまが作られた素晴らしい自然や三浦綾子夫妻と星野富弘夫妻の魂の交流をとらえた写真が収録されています。
 私がこの本を手に取ったのは33歳の頃で、小中学校の教員を10年勤めた後、養護学校に移って2年目の時でした。通常教育の教師として行き詰まりを感じ、特殊教育(今の特別支援教育)に自分の生きる道を見出し始めた時でした。キリスト者としては7年目の時でした。三浦綾子が伝道のために作品を創作していることを知り、私は自分の生き方、ことに障害児教育の実践を通して「伝道」していこうと思いました。その「伝道」はウイリアムズ主教の言う「道が伝わる」という方法でしたいと考えたことを思い出します。
 私のように、三浦作品を通して自分のキリスト者として在り方を見つめ、生きる力を得た方がたくさんいることを思います。「三浦綾子のこの一冊」の参加者の半数は未信徒だったと、福島店長さんから伺いました。まだ三浦綾子の作品を読んだことのない人もいたそうです。神さまが三浦綾子さんを、そして星野富弘さんをこの世に遣わし、神さまの御用のために用いられました。私たち一人一人もこの世で主の御旨を果たすよう使命が与えられています。それを果たすことができるよう祈り求めたいと思います。

 

聖霊降臨後第2主日 聖餐式 『十字架を負いキリストに従う』

 本日は聖霊降臨後第2主日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。
 聖書箇所は、ガラテヤの信徒への手紙3:23-29とルカによる福音書9:18-24。キリストが私たちを包んでいることに信頼して、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、イエス様に従っていくことができるよう、神の助けを祈り求めました。「十字架を負う」ということで思い浮かべた三浦綾子の小説(後に映画化された)「塩狩峠」も紹介しました。

   十字架を負いキリストに従う

<説教>
父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 先主日は「三位一体主日聖霊降臨後第1主日」、そして本日は「聖霊降臨後第2主日」です。祭色が緑になりました。緑は草木の色、自然の色であり、神の恵みと成長、希望、平和を表すと言われます。Green(緑)からGrowth(成長)という言葉が生まれています。これから降臨節第1主日(今年は11月27日)で紫に変わるまで長い緑の期節が続きます。
 
 今日の福音書箇所を振り返ります。
 イエス様が一人で祈っておられたとき、一緒にいた弟子たちに「群衆は、私のことを何者だと言っているか」とお尋ねになりました。それに対して弟子たちは、群衆や人々がイエス様のことを「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「昔の預言者が生き返った」と言う人もいます、と答えます。人々は、イエス様を偉大な者と認めてはいながらも、誰であるかの見解が一致しておらず、これまでの過去の歴史的な前例の人物をイエス様に当てはめて、イエス様をとらえています。そして、イエス様は弟子たちに、「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか。」と質問し、「あなた自身は私をどういう者として信じるのか。」と弟子たち一人一人に問いかけます。この問いかけに、一番弟子のペトロは、「神のメシアです。」と答えました。
「あなたはメシアの先触れをする人ではありません。あなたこそメシアです。」と答えたのでした。メシアは、ヘブライ語で「油を注がれた(塗られた)者」の意味で、 旧約聖書では祭司や王がその就任の際に油を塗られたことが記されています。後にそれは理想的な統治をする為政者を意味するようになり、さらに神的な救済者を指すようになりました。しかし、ここでのペトロは政治的な王としての「メシア」を考えていたかもしれません。ペトロたちにとってのメシアの理解は、支配者であるローマ帝国から自分たちの国ユダヤを独立に導く、政治的指導者、社会的リーダーを意味していたと考えられます。 
 この弟子たちの理解に対してイエス様は、苦しみを受け、殺され、復活する、という自らのメシアの姿を語ります。すべての人を愛し、すべての人が救われるために苦しまれたメシアであるイエス様の姿です。

 続いて23節でイエス様は、弟子たちだけでなく皆に(それはつまり私たちに)向かって「私に付いて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、私に従いなさい。」と言われました。「自分を捨て」「十字架を負って」「私に従いなさい」という3つの命令形は別々のことでなく、同じことを示しています。「自分を捨て」はちょっとドキッとする表現ですが、もとは<自分よりも他人を優先する>という意味の言葉です。同じく「自分の十字架を負って」などと聞くと、どうしても「キリストと同じように十字架を負う」とイメージしがちです。勿論ここには殉教というニュアンスもあるのですが、原文の直訳では<十字架の印を押される>となり、要するにキリスト者として生きることを指している言葉です。また、「付いて来たい者は」という箇所の「付いて来る」という現在形の言葉は、関係の継続を表す用法(現在不定詞)が用いられています。つまり、イエス様との関係を継続することを願うなら、ということです。そしてルカはここに「日々」という言葉を挿入することで、日常の中で福音の価値観を生きていくことを強調している、と考えられます。つまり、キリストと同じように、私たちも日常の中で人の痛みや苦しみを共に担っていく、ということでしょうか? そしてイエス様に従っていくことが求められています。それこそが信仰です。「自分の」ではなく「イエス様の」生き方に従っていくことです。イエス様との関係を継続したいと願うなら、日々キリスト者としてイエス様に従っていくことが求められているのです。
 24節で、イエス様は「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを救うのである。」と言われます。これは23節の説明でありまして、イエス様に従うことが自分の命を救うための唯一の手段であり、自分を捨て、キリスト者としてイエス様の教えられた愛の生き方を貫くことによって永遠の命を得ることができると言っているように思います。

 今日の福音書箇所で、私にとって気になる言葉は「自分の十字架を負って」という言葉でした。私たちが負うべき(担うべき)自分の十字架とは何でしょうか? 私たちは、生まれ育ちや境遇、生まれながらの病気や障害、そして今置かれている仕事や家庭等の状況を自分に与えられた十字架ととらえる傾向があると思います。私もそう思いがちです。
 しかし、クラドックという現代アメリカの神学者、説教者の注解書にこうありました。「十字架を担うという生き方は、人が「引き受けた」生でなければならない。つまり、自発的に選ぶものなのである。関節炎や悪い成績、不幸せな結婚、薬漬けの子供などはこの場合当てはまらない。十字架を担う生き方は、神に仕えるために自己を否定することを含む。昔も今も真実なのは、神に仕えてイエスに従うということは、十字架や、払うべき代価や、受けるべき痛みや傷が横たわっている、一つの道を行くということである。ここで言っているのは、死の希望ではなく、神の支配に従順であるということである」と。
 クラドックは、十字架は引き受けた生であり自発的に選ぶものだと言っています。神に仕えるため痛みや傷を受けることがあるが、神の支配に従順であることが十字架を担うということである、と言っています。

 このことで思うことがあります。それは今年、生誕100年を迎えた三浦綾子の小説「塩狩峠」です。これは実話に基づく長編小説で1968(昭和43)年に刊行され、5年後、映画化もされました。今回、私はこのDVDで映画を観ました。

 主人公は若き鉄道員、永野信夫。この作品では、北海道名寄から旭川方面へ向って塩狩峠を登っていた汽車の最後尾車両の連結が外れ、暴走した時に、乗り合わせていた主人公が自分の身を投げて客車を止め、命をささげて乗客を救ったことが描かれています。主人公の永野信夫は鉄道会社に勤める敬虔なキリスト者で、事故は婚約者との結納に向かう時に起きました。このことは、鉄道員という自分の職業とキリスト教信仰に基づき、自発的に日々十字架を負って生きていたからなされた行動であると思うのです。 

 では、日々自分の十字架を負って生きていくことのできる原動力は何でしょうか? その答えは本日の使徒書の中にあるように思います。ガラテヤの信徒への手紙3章27節にこうあります。「キリストにあずかる洗礼を受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです。」
 パウロは「あなたがたは皆、キリストを着たのです」と表現します。「着る」の原語は「エンデュオー」で「衣服を着せる、身に着ける」の意味、さらに<包まれている>状態のことを表します。キリストに結ばれた私たちを、いつもキリストが<包んで下さっている>のです。
 私たちは、「ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、男も女も」関係なくキリストによって包まれているです。キリストが私たちを包んで下さっている。これこそ、私たちが日々十字架を負って生きていくことのできる原動力ではないでしょうか?

 キリストが私たちを包んで下さっていることに信頼して、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、イエス様に従っていくことができるよう、そして、私たちが常に「キリストに結ばれた者」であり続けることができるよう、神の助けを共に祈り求めたいと思います。