マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『私にとっての三浦綾子の一冊』

 前橋ハレルヤブックセンターで「三浦綾子生誕100年記念フェアー」が5月30日(月)〜6月30日(木)まで開催しています。そして、「私の三浦綾子の一冊」を語る会が、6月22日(水)午後1時から前橋ハレルヤブックセンターにて行われました。昨日の朝日新聞群馬版にもこのことの記事がありました。
 私もその会に参加しましたが、1時半から評議員をしている社会福祉法人評議員会があったので、「開会の祈り」を捧げ自分の「三浦綾子のこの一冊」を紹介し、1時10分くらいに書店を後にしました。後から福島店長さんに電話で伺ったところ、この会には11名の参加者があり、それぞれの方が御自分にとっての三浦綾子の一冊紹介され、本は多岐に渡ったとのことでした。
 私にとっての三浦綾子のこの一冊は、「光あるうちに」や「塩狩峠」等も考えましたが、この星野富弘さんとの対談録『銀色のあしあと』を選びました。私の持っている本は、「百万人の福音スペシャル」で発行日は昭和63年10月1日です。『銀色のあしあと』は現在新装版が刊行されていますが、私の持っているバージョンには写真がたくさん掲載され、かなりヴィジュアルに訴える内容となっています。

 この当時、三浦綾子星野富弘さんも月刊誌『百万人の福音』に連載を持っていました。富弘さんは巻頭の詩画、綾子さんは『風はいずこより』に収録されるエッセイでした。 

 『銀色のあしあと』の冒頭に綾子さんの「祈り(1988年5月20日)」があります。
   私の一生に、このように素晴らしい日をいただけたことをありがとうございます。星野さん、お母さん、奥さん、ごきょうだいの方々、おひとりおひとりの今までの大変な日々や恵まれた日々それらすべてが本当に素晴らしい花のように、今、神の前に捧げられていることを思って、感謝いたします。 三浦綾子

   最初の「自然は最高の教師」の項目にはこのような文章があります。
『星野 小さな花でも描いていると、だんだん大きくなって、反対におれは虫のように小さくなって、花の中を歩いているんです。それから、花を描いているようで、実は自分を描いているんですね。虫食いの穴があったり、汚れていたりしているのは、まさに、自分の姿なんです。』
 富弘さんの詩画を製作する秘密を知る思いです。

 富弘さんが闘病中にキリストに出会った経緯が、「神さまの布石」の項目に次のように記されています。
『星野 『塩狩峠』の本を持って来てくださったのは、病院で検査技師をやっていたクリスチャンのかたです。その前には米谷さんという大学の先輩がいて、聖書を持って来てくれた。それが、そもそもの初めなんですね。でも、あれですねぇ神さまというのは、時には遠回りをさせて、いつの間にか味なことをされるなあと思いますね。本にも書いたことがあるんですけど、裏の畑の土手に小さな十字架が建ったんです。それに、『労する者、重荷を負う者、我に来たれ』という文句が書いてあって、それを、高校1年生のとき見つけたんですね。豚の肥やしをかごでしょい上げているとき、いきなり目の前に現れて、それが聖書の言葉との最初の出会いでした。たまたま豚の肥やしという重荷を負ってましたから、その『労する者、重荷を負う者』という言葉は印象的でした。(笑』
 富弘さんの信仰生活の最初に三浦作品があり、神様の導きがあったことが分かります。

 「人間はどこから」の項目にこうあります。
『三浦 私もむやみやたらと病気ばっかりしてましてね。問題は、どこから来たかわからないけど、神さまのみこころによってこの世に生まれた。そして、どこに行くのかということも、神さまのおっしゃるとおりであれば、神さまが備えてくださるところへ行くわけでしょう。私には、それがどこであるかわからないけれども、神さまがいらっしゃるから安心だって思うのよ。(中略)神さまがなさることだから、風はいずこより、人間はどこから来て、どこへ行くのか、それも神さまは知っていらっしゃる、とそう思うんです。
星野 どこへ行くかわからないけど、神さまは自分が死んだあともいてくださる。いつも誰かが見ていてくださるというのは心強いですね。誰も知らないで何か喜んだり大事(おおごと)をしたりするよりも、誰かいつも、そばで見ていてくれるというのは・・・。』
 ここには、キリスト教の死生観が分かりやすい言葉で示されています。

 「苦しみに会ったことは」の項目にこう記されています。
『三浦 私は“小説”を書いているつもりはないのね。伝道するつもりで書いているの。だから、たとえ小説として出来が悪くても、それを読んで教会に行くようになったなんてう人がいれば、私の目的は達するわけ。
星野 おれも、自分のかいたものを読んでくださったかたが、次に聖書を開いてくれればと思っています。』
 ここから、二人の作品創作の原点が「伝道」にあることが分かります。

 この他にもこの対談録には目を惹かせる珠玉の言葉、そして神さまが作られた素晴らしい自然や三浦綾子夫妻と星野富弘夫妻の魂の交流をとらえた写真が収録されています。
 私がこの本を手に取ったのは33歳の頃で、小中学校の教員を10年勤めた後、養護学校に移って2年目の時でした。通常教育の教師として行き詰まりを感じ、特殊教育(今の特別支援教育)に自分の生きる道を見出し始めた時でした。キリスト者としては7年目の時でした。三浦綾子が伝道のために作品を創作していることを知り、私は自分の生き方、ことに障害児教育の実践を通して「伝道」していこうと思いました。その「伝道」はウイリアムズ主教の言う「道が伝わる」という方法でしたいと考えたことを思い出します。
 私のように、三浦作品を通して自分のキリスト者として在り方を見つめ、生きる力を得た方がたくさんいることを思います。「三浦綾子のこの一冊」の参加者の半数は未信徒だったと、福島店長さんから伺いました。まだ三浦綾子の作品を読んだことのない人もいたそうです。神さまが三浦綾子さんを、そして星野富弘さんをこの世に遣わし、神さまの御用のために用いられました。私たち一人一人もこの世で主の御旨を果たすよう使命が与えられています。それを果たすことができるよう祈り求めたいと思います。