マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

「星野富弘さんと私のストーリー」

 多くの人に生きる希望を与えた星野富弘さんが、去る4月28日に帰天されました。富弘さんの御国での魂の平安を祈ります。富弘さんの詩画は多くの人に感動を与え、富弘さんの人生は神様から特別の使命が与えられた一生だったと思います。
 富弘さんの訃報は5月1日に新聞各紙等で一斉に報じられましたが、富弘さんがキリスト者であることやその信仰について触れたものは全くありませんでした。これでは富弘さんの詩画や生き方を生み出した原動力が分からず「あまりに不十分だ」と思っていたところ、5月12日(日)に朝日新聞の「天声人語」が富弘さんのことを取り上げました。その文章は以下の通りです。

『先日の訃報が心に残り、母の日にあたって星野富弘さんの詩を思い出している。〈神様がたった一度だけ/この腕を動かして下さるとしたら/母の肩をたたかせてもらおう/風に揺れる/ぺんぺん草の実を見ていたら/そんな日が/本当に来るような気がした〉▼体育教師だった星野さんは24歳で大けがをし、首から下が動かなくなった。つきっきりで世話をしてくれる母にさえ、絶望から怒りを爆発させてしまう。自分一人では一生、何も出来ないのか▼生きる意味を教えてくれたのは、それまで気にもとめていなかった野の草花だった。〈この花は/この草にしか/咲かない/そうだ/私にしか/できないことが/あるんだ〉。口にくわえた筆で四季の花々を描き、言葉を添える。初めて出来た時、絵というより希望が浮かび上がった、とふり返っている▼作品に多くの人が勇気づけられたのは、そこに人間の限りない強さとやさしさがあるからだろう。小さな命をいとおしみ、目に見えぬ何かに感謝する。入院中に洗礼を受けた信仰の力もあったに違いない▼享年78。先日訪れた群馬県みどり市の富弘美術館では、記帳のノートが「ありがとう」の文字で埋まっていた▼著書に書いている。「散ってゆく花の横に、ひらきかけたつぼみがあり、枯れた一つの花のあとには、いくつもの実がのこされます。人間が生きているということは、なんと、ひと枝の花に似ているのでしょう」。星野さんが残していった種の一つひとつを思う。』

 ここでは富弘さんの作品の秘密について「信仰の力もあったに違いない」と記しており、さすが「天声人語」と思いました。朝日の「天声人語」はこれまでも、富弘さんの「愛、深き淵より」が出た時すぐに取り上げ、これ以降も「風の旅」が出時や「富弘美術館」が創立された時も紹介していたと記憶しています。それにより全国に富弘さんの存在が知れ渡りました。当時の「天声人語」のライターがキリスト者だったからと思ったことを覚えています。

 「天声人語」氏はじめ多くの方が富弘さんの詩画や生き方に影響を受け、一人一人それぞれのストーリーをお持ちだと思います。そのことを分かち合えないかと思って、前橋ハレルヤブックセンターに提言したところ「5周年記念読書会」として実施できることになりました。そのチラシを下に示します。

 この読書会は6月1日(土)午後1時30分からハレルヤブックセンターで開催され、私がコーディネーターをさせていただきます。ぜひ、電話やメールでお申し込みいただき、富弘さんの作品の中で心に響いたものを紹介し、富弘さんとご自身のストーリーを語ってほしいと思います。

 私にとって最も心に響いた富弘さんの作品は、三浦綾子との対談『銀色のあしあと』です。この本は、2年前の前橋ハレルヤブックセンターの三浦綾子生誕100年記念フェアの一環で行われた「私の三浦綾子の一冊を語る会」でも紹介しました。私の持っている本は、「百万人の福音スペシャル」版で、発行日は昭和63年10月1日です。『銀色のあしあと』は現在新装版が刊行されていますが、私の持っているバージョンには写真がたくさん掲載され、かなりヴィジュアルに訴える内容でした。

 この本の最初の「自然は最高の教師」の項目にはこのような文章があります。『小さな花でも描いていると、だんだん大きくなって、反対におれは虫のように小さくなって、花の中を歩いているんです。それから、花を描いているようで、実は自分を描いているんですね。虫食いの穴があったり、汚れていたりしているのは、まさに、自分の姿なんです。』(P.18)
 富弘さんの詩画を製作する秘密を知る思いです。
 富弘さんが闘病中にキリストに出会った経緯が、「神さまの布石」の項目に次のように記されています。
『「塩狩峠」の本を持って来てくださったのは、病院で検査技師をやっていたクリスチャンのかたです。その前には米谷さんという大学の先輩がいて、聖書を持って来てくれた。それが、そもそもの初めなんですね。でも、あれですねぇ神さまというのは、時には遠回りをさせて、いつの間にか味なことをされるなあと思いますね。本にも書いたことがあるんですけど、裏の畑の土手に小さな十字架が建ったんです。それに、「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」という文句が書いてあって、それを、高校1年生のとき見つけたんですね。豚の肥やしをかごでしょい上げているとき、いきなり目の前に現れて、それが聖書の言葉との最初の出会いでした。たまたま豚の肥やしという重荷を負ってましたから、その「労する者、重荷を負う者」という言葉は印象的でした。(笑』(P.28)
 富弘さんの信仰生活の最初に聖書や三浦作品があり、神様の導きがあったことが分かります。
 「人間はどこから」の項目にはこうあります。
『どこへ行くかわからないけど、神さまは自分が死んだあともいてくださる。いつも誰かが見ていてくださるというのは心強いですね。誰も知らないで何か喜んだり大事(おおごと)をしたりするよりも、誰かいつも、そばで見ていてくれるというのは・・・。』(P.44)
  ここには、キリスト教の死生観が分かりやすい言葉で示されています。

  私がこの本を手に取ったのは33歳の頃で、小中学校の教員を10年勤めた後、養護学校に移って2年目の時でした。1年目は副担任で主担任の言うとおりに指導・支援していました。2年目になり主担任になりましたが、目の前の障害児はできることに制限があり、通常教育のように決められたカリキュラムがなく、何をどのように教育していいか悩んでいました。
 首から下が動かない富弘さんが口に筆を加えて絵を描くことを、この本では「不自由から生まれた産物」と言っていますが、それは「できないことでなく、できることに目を向ける」ということだと思いました。私も目の前の子供の「できないことでなく、できることに目を向けよう」と発想の転換を行いました。知的には障害があっても、体力や感性に障害はない。そこで体育や音楽や図工等を充実させようと思って、その子に合わせて色々工夫をしました。その結果、この子らとの楽しい時間を共有することができました。できることを充実させることで、知的理解の向上や精神の安定等、他にもいい影響が出て、生活全般を豊かにすることができたと思います。

 皆さんも、ご自身にとっての星野富弘さんのとびきりの一冊や作品とご自分のストーリーをぜひ紹介してほしいと思います。皆さんと前橋ハレルヤブックセンターでお目にかかるのを楽しみにしています。