マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「マーガレット幼稚園誕生会」に思う』

  私は玉村のマーガレット幼稚園のチャプレンもしています。毎月の誕生会で礼拝をしていますが、8月からは新型コロナウイルスの感染拡大のため休みになっていました。緊急事態宣言が解除になり、本日、久し振りに8月~10月、3ヶ月分の誕生者を祝福する誕生会を行いました。今回はその様子について記したいと思います。

1 導入
○ 誕生者祝福
<一人一人の誕生者の頭の上に(距離をおく)手を置いて、名前を呼び祝福する> 
  
○ 手遊び歌「さかながはねて」
 皆さん、おはようございます。元気にしていましたか? 今日は8月~10月の誕生会ですね。
 今日は神父さんの友だちを連れてきました。この袋の中にいます。動いています。はねているようです。
 みんなが呼ぶと出てきてくれそうです。「出ておいで!」と言ってみて下さい。せーの!
(みんな)「出ておいで!」
 おや、聞こえないようです。もっと大きな声で言ってみて下さい。せーの!
(みんな)「出ておいで!」
「僕を呼んだのは誰かな?」(と言って、魚を出す。)

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「これは何でしょう?」
(みんな)「さかな!」
 神父さんの友だちはさかなさんでした。(魚を床に置く)
 今日はさかなさんの前で、前にしたことのある、魚の手遊び歌をしたいと思います。「さかながはねて」覚えていますか?。
(まずやって見せ、それからみんなで「さかながはねて」をする。)

 さかながはねて ぴょん!  あたまにくっついた ぼうし
 さかながはねて ぴょん!  おめめにくっついた めがね
 さかながはねて ぴょん!  おくちにくっついた マスク

 さかながはねて ぴょん!  おはなにくっついた てんぐ
 さかながはねて ぴょん!  おへそにくっついた でべそ
 さかながはねて ぴょん!  おしりにくっついた パンツ

(園児たちを認め)「みんな上手ですね。」
 
2 絵本「だれのてこのて」 (ホンダマモル:作 いのちのことば)を読む。    今日はこの絵本を読みます。

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(園児の様子を見ながら、ゆっくり丁寧に心を込めて読む。) 
 <内容>
「次に出てくるのは誰の手? あかちゃん、コックさん、おいしゃさん、にゃんこ、ゆうびんやさん、イエスさま、最後に出てくるのは誰の手かな? 読み終えたあと、心がじんわり温かくなる。」

3 振り返り
○ このお話が「いいな」と思った人?・・・ほとんど全員挙手。
○ どこが良かったですか?・・・(自由に発言させ、それぞれ認める) 赤ちゃんが可愛かった。イエスさまが出てきたところ。私の手が出て、イエスさまといつも一緒なこと。
○イエスさまはどのようなお方でしょうか?・・・やさしい。いつも一緒にいてくれる。先生。守ってくれる。友だち。
*イエスさまはいつもみんなと一緒にいて、手をつないでおられる友だちなのですね。実は、神父さんの友だちのさかなさんはイエスさまなのです。
 これを見て下さい。

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 神様の本「聖書」が書かれたギリシャ語で魚を「イクソス」と言います。「イクソス」の意味はこうです。

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 ΙΧΘΥΣ(イクソス)はΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語で「イエス、キリスト、神の、子、救世主」)のそれぞれの言葉の最初の文字を並べたものです。イエスさまのお弟子さんたちは、魚をイエスさまと見て仲間と気持ちを確かめたのでした。魚で表されるイエスさまは、「ずっとみんなの友だち」ということを忘れないでいてほしいと思います。

4 祈り
 父なる神様、私たちを8月~10月の誕生会のために集めてくださりありがとうございます。誕生日を迎えたお友達をお祝いしてください。
 今日のお話で、イエスさまはいつもみんなと一緒にいて、手をつなぐ友だちということが分かりました。これからも魚で表されるイエスさまが「私たちの友だち」ということをずっと忘れないようにお導きください。
 このお祈りを、主イエス様によってお願いいたします。アーメン

* 園児たちは、袋の中の魚を呼んだり、手遊び歌をしたりする活動を、目を輝かしてうれしそうに行っていました。
 絵本「だれのてこのて」をとても園児たちは喜びましだ。次々と「誰の手か」予想し、合っていると歓声を上げていました。この絵本は園にプレゼントしました。
「イエスさまはどのようなお方でしょうか?」と園児に尋ねたら、想定していなかった「先生」「守ってくれる」の発言がありました。想定していた「神様の子ども」は出ませんでした。「私たちの友だち」も難しく、誘導尋問のようにしてやっと「友だち」を導きました。「イエス様は神の子」という発想は、この年齢の子にはイメージしづらいのだろうと思いました。この子たちには、イエス様をずっと友だちとして人生を歩んでほしいと祈ります。