マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「奇跡の人(The Miracle Worker)」に思う』

 先々主日、10月24日の聖餐式の説教で、盲人バルティマイの必死に願う思いと信仰が、奇跡を生んだことを話しました。盲人の奇跡で思い浮かぶ人として、多くの人はヘレン・ケラーを挙げると思います。ヘレン・ケラーは、日本では「見えない」「聞こえない」「話せない」の三重苦を克服した「奇跡の人」として知られています。今回、映画「奇跡の人」をDVDで見ました。

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 「奇跡の人」は1962年のアメリカ映画(監督:アーサー・ペン)です。映画「奇跡の人」及びその基になったブロードウェイの戯曲の原題は「The Miracle Worker」(訳せば「奇跡の働き人」)でした。そして、この主人公はヘレンではなく、実は彼女の先生だったアン・サリバンだったのです。現にこの映画は5つのアカデミー賞を獲得していますが、主演女優賞はサリバン先生役のアン・バンクロフト助演女優賞はヘレン役のパティ・デユークでした(監督賞も受賞)。

  映画「奇跡の人(The Miracle Worker)」のあらすじはこのようです。
『まだ満2歳にならないヘレンは病気のせいで聴力、視力、言葉を失ってしまいます。7歳のヘレンは教育がなされないために非常にわがままに育ちました。妹への暴力行為のあと、一家はヘレンへの躾けがどうしても必要だと考えます。母親ケイトが施設に預けることに反対したため、父親のアーサーは特別な家庭教師を雇うことにしました。そしてやって来たのが、アン・サリバン、パーキンス盲学校を卒業してまもない20歳の女性でした。彼女自身元々盲目でしたが、手術のお陰で視力が戻ったばかり。意志が強く、ヘレンを教育する熱意に燃えています。
 ヘレンと初めて会った彼女は、この少女の聡明さに気づきます。人形を与えて、それを使って手でアルファベットを綴る方法などを教えると、完璧にマスターします。しかし、それは文字などを理解した行為ではなく、ヘレンにとっては単なる遊びの一環でした。食事の席でも傍若無人に振る舞うヘレン。しかし、家族はそれを見て見ぬふりをするだけ。サリバンは彼女を徹底的に躾ける必要を感じます。
 2週間だけ、ケラー家の庭にある東屋で2人きりで過ごすことを許されたサリバンは、ヘレンも自分に負けないくらい強情なことを思い知らされます。無理矢理言う事を聞かそうとしても、意地になったように反抗するヘレン。しかし、1週間が終わる頃にはサリバンの執念が実を結び、ヘレンも自分で服を着たり、フォークで食事をとったり、指で示すアルファベットが分かるようになります。しかし、「つづられた文字が物を表す」という概念は理解できないままです。
 サリバンはもう1週の期間の延長を懇願しますが、両親は結果に満足してもう娘を家に戻すつもりでした。家に戻ってしまうと、案の定ヘレンはまた傍若無人に振る舞い始めます。サリバンはそんなヘレンを無理矢理芝生にある井戸のところへ連れてゆき、水差しに水を汲ませようとします。そのとき、ヘレンの顔に変化が訪れました。彼女は「ウオーラー」と叫び、サリバンの手を取り「water 水」とつづります。そして、次々に物体にさわってはその名前をつづってゆくのです。最後にサリヴァンは自分の顔にヘレンを触れさせ、自分が「teacher 先生」だということを理解させます。』
 サリバン先生役のアン・バンクロフトとヘレン役のパティ・デユークの文字通り体当たりの演技、「井戸の水」によりすべてのものに名前があることを知ったヘレンの喜びとそのヘレンを見た家族の喜び。この箇所では誰もが涙せずにはいられないと思います。ここに至ることができたのはサリバン先生の並外れた愛情と強い意志があった故と思います。サリバン先生こそ、まさに「The Miracle Worker」(奇跡の働き人)だと思いました。

 では、サリバン先生はどのような人で、なぜこのような奇跡を起こすことができたのでしょうか?
 サリバン先生のことを知りたいと思い、伝記を探しましたが、日本語で出ているものはありませんでした。仕方なく英語のこの本「Beyond the Miracle Worker」を購入し、部分的に読みました。

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 このようなことが記されていました。
『アン・サリバン(1866~1936)は、幼い頃に病気で視覚障害者となりました。9歳の時に母親が亡くなり、足が不自由だった弟ジミーと一緒に救貧院に入れられ、ジミーは間もなく亡くなりました。天涯孤独となったアンは、深い心の病のせいで食事を満足にとることもできず、救貧院で死を待つような生活を送っていました。
 そんな絶望の中にいたアンに救いの手を伸ばしたのは、救貧院の看護師でした。彼女は昼休みになるとおやつを持って、アンに聖書の御言葉を話すようになりました。しかし、アンの反応は乏しく、笑顔とは無縁の固い表情を崩そうとしません。それでも看護師はアンのことをあきらめず、辛抱強くアンに語りかけました。看護師の働きかけの甲斐もあり、アンは少しずつ心を開いていきました。その後、州の慈善委員会が救貧院を視察した際、「勉強をしたい」というアンの願いが聞き入れられ、視力の回復が見込まれなかったアンに盲学校進学の道が開かれます。そして、アンは14歳の時にパーキンス盲学校に入校。指文字を学び、数度の手術の結果、ある程度の視力を回復しました。20歳の時にヘレン・ケラーの家庭教師となり、70歳 で 亡くなるまで彼女を支え続けました。』
 絶望のアンを救ったのは救貧院の看護師であり、彼女の語った聖書の御言葉でした。「Beyond the Miracle Worker」の本では「the tender words」とありました。サリバン先生の並外れた愛情と強い意志の背景には、このようなエピソードがあったのです。そして、サリバン先生にはカトリックの信仰が根づいていたと考えます。映画の中で、2週間東屋でヘレンと2人きりで過ごすことを許された時、サリバン先生は神に感謝して十字を切っていました。
 
 マルコ福音書9:25にこうあります。
『そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、見つめているうちに、すっかり治り、何でもはっきり見えるようになった。』
 イエス様により、盲人の目が見えるようになるという奇跡が起きました。イエス様こそが、サリバン先生を超える「The Miracle Worker」(奇跡の働き人)であります。そのイエス様に、熱心に聞き従う信仰の道を歩みたいと思います。