被献日 『主にあってみ前に献げられる』
本日は被献日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。
聖書箇所は、マラキ書3:1-4、詩編51:15-19、ヘブライ人への手紙2:14-18及びルカによる福音書2:22-40。説教では、被献日はイエス様が神に献げられ諸国民の光として迎えられた日であることを知り、私たちも主にあってみ前に献げられ、この世において主の栄光を現すことができるよう祈り求めました。
本日の福音書箇所から思い浮かべた聖歌535番、そして、この聖歌の作詞をしたファニー・クロスビーについて記した「大塚野百合著 賛美歌・聖歌ものがたり」からの文章を紹介しました。
本日の説教原稿を下に示します。
<説教>
主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いがみ心にかないますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン
教会の暦では、本日、2月2日は「被献日」という祝日です。先主日が顕現後第3主日でしたので、例年ですと本日は顕現後第4主日となるのですが、今年はたまたま2月2日が主日と重なり、祈祷書の2ページに「次の祝日は主日に優先して守る」と指定されている3つの祝日の1つに「被献日」がありますので、本日は「被献日」として礼拝を守っています。ちなみに、主日に優先して守る他の2つは「主イエス命名の日(1月1日)」と「主イエス変容の日(8月6日)」です。
「被献日」は生後40日目のイエス様が両親によってエルサレムの神殿に連れられ、神様に献げられたことを記念する日です。英語の祈祷書では「The Presentation of Christ in the Temple(神殿におけるキリストの奉献)」という祝日であり、カトリックでは「主の奉献」と呼ばれる祝日です。
なお、昨日、高崎聖オーガスチン教会で北関東教区婦人会の総会及び被献日の礼拝が捧げられました。当教会からはY・M姉とF・E姉が参加しました。この時期に婦人会の総会があるのは、日本聖公会婦人会が1920年の2月2日(被献日)に成立したことからですが、女性たちがイエス様が神殿で献げられたことに思いを馳せ、献げること(物心ともに)を重視している証しでもあると思います。
本日の福音書の個所を振り返ります。
マリアは、イエス様を出産した後、モーセの律法に従って、その期間を守り、イエス様の出生の日から、40日後に、ヨセフとともにイエス様を連れてエルサレムの神殿に詣でました。それは律法に従っていけにえ(山鳩や家鳩)を献げるためでした。
イエス様の聖家族はエルサレムの神殿に着きました。神殿の境内には、大勢の人々が集まり、ごったがえしています。
その神殿の境内で、ヨセフとマリアは、二人の老人に会いました。それは、シメオンと、アンナという女預言者でした。
シメオンは、ずっとエルサレムに住んでいる人で、人々から「正しい人で、信仰が篤く、イスラエルの民が、神様によって慰められることを待ち望み、聖霊が彼にとどまっている」と、人々から思われている老人でした。
そのシメオンは、神様が遣わされる「救い主」に会うまでは決して死なないという、聖霊のお告げを受けていました。
このシメオンが聖霊に導かれ神殿の境内に入ったら、ちょうど、ヨセフとマリアが、幼いイエス様のためにモーセの律法に従って、いけにえを献げようとしているところでした。
シメオンは、幼いイエス様を、腕に抱き賛美の声を上げました。29節から32節です。意訳して述べます。
「主よ、今こそあなたはお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。私は、この目であなたの救いを見たからです。これ(この幼子)は、すべての人々のために、備えられた「救い」です。この方こそ、異邦人をも含めて、すべての人々を照らす、神のみ心を表す光です。この方こそ、あなたの民であるイスラエルの栄光です。」
これは、夕の礼拝の中で唱えられる「シメオンの賛歌」です。シメオンはイエス様に出会ったとき「この方こそ長い間待ち望んでいた救い主である」ことを確信し、ほめ讃えたのです。それは聖霊の導きによるものでした。
ヨセフとマリアは、この老人が、突然、イエス様について、このようなことを言い出したので、驚きました。シメオンは、この家族を祝福し、さらに、母親のマリアに言いました。34節から35節を意訳します。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり、立ち上がらせたりするためにと、この子の将来は、定められています。また、同時に、多くの人々から、様々な反対を受ける「しるし」が見られます。そして、あなた自身も、剣で、胸を刺し貫かれるような経験をすることになるでしょう。それは、この人に対して、悪意や疑問を持つ多くの人々の心や思いが、そこに現れるためです。」
老人シメオンは、これから起こるイエス様の生涯を予言するだけでなく、母マリアの上に降りかかる痛みと苦しみをも予告したのでした。
約30年後、現実に、シメオンによって予言されていたことが起こりました。ゴルゴタの丘で、十字架につけられている我が子を、母マリアは仰ぎました。
シメオンに続いて、アシェル族(北部10部族)の84歳のやもめである女預言者のアンナもイエス様に近づき、感謝を献げ「エルサレムの贖い(救い)を待ち望んでいる人々皆に幼子のことを語」り、伝道しました。
イエス様の親子、聖家族は律法で定められた奉献の儀式を終え、故郷のナザレに帰りました。幼子イエス様は神様の恵みのうちに成長しました。
このような箇所でした。
本日、「被献日(主の奉献)」の福音書箇所は、神殿で幼いイエス様のために献げられた犠牲(山鳩や家鳩の命)は、実は、すべての人々を救うために献げられたイエス様御自身であったと言っているようです。生まれながらにしてイエス様ご自身が献げられたことを、覚えたいと思います。
また、シメオンが腕に抱いた幼子が神様を讃えさせ、人を祝福させました。幼子を通して神様と人が結ばれたのです。主イエス・キリストは神様と人を結び合わせる絆なのであります。
なお、29節から32節の「シメオンの賛歌」は古来から「ヌンク・ディミティス」とラテン語で言われてきましたが、それはラテン語訳の冒頭部分「今こそ、私を安らかに去らせてくださる」から来ています。「死なせる」ではなく「去らせる」です。私はここに大きな意味があると考えます。聖霊に導かれて救い主に出会った人は、死ぬのではなく、平安のうちにこの世を去り、新たな命に入ることを示唆しているように思うのです。私も70歳を過ぎ、人生の終焉を意識しています。イエス様をしっかり腕に抱き、つまり、救いを信じて受け入れ、安らかにこの世を去りたいと思うものであります。
本日の福音書箇所から思い浮かべたのが、先ほど福音書前に歌った聖歌535番です。この聖歌は、イエス・キリストを信じ救われた喜びにあふれています。
https://www.youtube.com/watch?v=ji6fY-czKU4
<1 あなうれし わが身も 主のものと なりけり
湧き出る 喜び あまつ世の まぼろし
(おりかえし)
歌わでや あるべき 救われし身のさち
たたえでや あるべき み救いの かしこさ
2 み使いの降り来て 愛のうた こだます
喜びの調べは み恵みの おとずれ
(おりかえし)
3 主の愛に満たされ 心 いと安けし
胸のなみ 静まり ただ主のみ 仰ぎ見ん
(おりかえし)>
格調高い文語の歌詞ですが、1節と3節を現代語に訳してみます。
1 なんとうれしいことでしょう、私は主のものとなりました。
天の国の喜びが、今この世にいるうちから始まり湧き出でています。
(おりかえし)
私が救われた幸せに 歌わないではいられません。
救ってくださった賢さに、神を讃えないではいられません。
3主の愛に満たされて 私の心はとても平安です。
胸の動揺は静まって、主なる神だけを仰ぎ見ます。
(おりかえし)
聖歌535番(讃美歌529番)は、19世紀アメリカの盲目の讃美歌詩人、ファニー・クロスビーの作詞です。この聖歌やファニー・クロスビーについては、この本「大塚野百合著 賛美歌・聖歌ものがたり」に載っています。

Frances Jane Crosby(1820-1915)は、生涯に6,000以上の賛美歌を書いたアメリカの盲目の賛美歌詩人です。盲人オルガニストと結婚してVan Alstyneの姓となりましたが、一般にファニー・クロスビーと呼ばれています。日本聖公会の聖歌集ではこの曲の他に、128番「イエスきみ イエスきみ み救いに」や518番「きよき岸べに やがて着きて」が採用されていますが、日本基督教団讃美歌や福音派の聖歌等にも数多く取り上げられており、彼女の歌は日本でも広く普及しています。
ファニー・クロスビーは、生後6週間後の目の治療が失敗し失明する悲運に見まわれましたが、祖母や母親の愛情ある育成により彼女の持って生まれた才能が生かされ、盲学校での勉学・卒業後の教師としての務めの傍ら詩作に励みました。クロスビーは、身長145センチと小柄でしたが、彼女の心にはいつも喜びが湧いていたので、その顔は輝いており、そばに行くと、その喜びが「感染」したと言われました。
聖歌535番は、彼女が53歳の時に日曜礼拝で牧師がヘブライ人への手紙10章22節「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。」について行った説教に霊感を受けて書いたそうです。当時の英語の聖書では、「信仰の確信に満たされて(with a true heart in full assurance of faith)」となっており、彼女はこの「確信(assurance)という言葉をテーマに、この歌を書いたとのことです。聖歌535番の楽譜の左下にあるように、歌い出しが「Blessed assurance, Jesus is mine(祝福された確信、イエスは私のもの)」となっています。
このように、この聖歌には、イエス・キリストを信じた救いに関する揺るぎない確信と喜びがあふれています。そしてそれは、本日の福音書におけるシメオンやアンナにおける、主イエス・キリストに出会い救われた確信と喜びに共通するものです。
皆さん、本日は被献日、生後40日目のイエス様が神様に献げられ、諸国民(すべての人)の光として迎えられたことを記念する日です。イエス様に出会い、救いを受け入れた人は平安のうちにこの世を去り、新たな命に入ることができます。このことに感謝し、私たちも主にあってみ前に献げられ、この世において主の栄光を現すことができるよう、祈り求めて参りたいと思います。
父と子と聖霊の御名によって。アーメン