マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

顕現後第2主日『マリアの信頼や召し使いの態度に倣う』

 本日は顕現後第2主日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。
 聖書箇所は、イザヤ書62:1-5、詩編36:5-10、コリントの信徒への手紙一12:1-11及びヨハネによる福音書2:1-11。説教では、カナの婚礼の奇跡から、主がくださる恵みが私たちの心を満たすことを知り、マリアの信頼、召し使いの従っていく態度に倣って、状況をイエス様に伝え、イエス様の命じたことを行うよう祈り求めました。
 「絵で見るロザリオの祈り」の本日の福音書の箇所のページを紹介し、活用しました。
 本日の説教原稿を下に示します。

<説教>      
 主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いがみ心にかないますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 本日は顕現後第2主日です。
 福音書は「カナの婚礼」の箇所です。旧約聖書イザヤ書62:1-5で、神様とその民との関係で結婚関係が表現されており、「光」「現れ」「燃える」「栄光」などの用語が使われ、顕現(イエス様がこの世に現れたこと)がうかがわれます。

 本日の福音書箇所を振り返ってみましょう。ヨハネの2章1-11節、イエス様の公生涯(Public Minstry)の始まりで、このような話でした。
『イエス様が、家族とともに過ごされたガリラヤのナザレから、8キロほど北に行ったところのカナという村での出来事です。
 フィリポとナタナエルがイエス様の弟子になった三日後に、その村で結婚式があり、イエス様は弟子たち(この時点では5人)と共に結婚のお祝いの席(婚礼)に招待され、出席していました。イエス様の母マリアも、そこに招かれていました。親戚の結婚式だったのかもしれません。マリアはこの花婿の母の姉妹だったという伝承があります。であれば、イエス様はいとこの婚礼に出ていたことになります。ちなみに、ヨセフは出てきませんので、既に亡くなっていたと考えられます。弟子たちは、ナタナエルがカナの出身(ヨハネ21:2)だった関係で出席したのかもしれません。
 当時のユダヤ人の結婚式は、花婿の家で盛大に行われ、大勢の人が集まり、宴会は、一週間も続いたと言われます。
 ところが、そのおめでたい宴会の最中に、ぶどう酒がなくなるという事件が起こりました。お祝いの席で、お客さんに出すぶどう酒が途中でなくなるということは、その家にとって恥ずかしいことですし、その座が白けてしまいます。このことを知ったマリアは、イエス様のところに来て言いました。「ぶどう酒がありません。」。
 それを聞いて、イエス様は、言われました。
「女よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません」。
 自分の母親に対して、非常に冷たいものの言い方のように感じますが、「女よ」と訳された原文の「グナイ」には尊敬のニュアンスがあり、「私とどんな関わりがあるのです」の意味するところは「それは私たちの仕事ではない、すべて神にかかっている」ということです。そして、イエス様の「時」とはイエス様が栄光を受ける時、つまり十字架の死と復活の時です。
 マリアは、近くにいた召し使いに、「この方が言いつけるとおりにしてください」と言いました。
 ちょうど、そこには、ユダヤ人が宗教的な清めに使う水を入れる石の水がめが6つ置いてありました。「いずれも2ないし3メトレテス入りのものである」と記されています。1メトレテスは、39リットルですから、78リットルから117リットルも入る水がめです。それが6つです。
 しばらくして、イエス様は、召し使いに、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われました。召し使いたちは、言われたようにかめの縁まで水を満たしました。すると、イエス様は、「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われました。
 召し使いたちはこれを運んで行きました。
 宴会の世話役は、水から変えられたぶどう酒の味見をしました。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていましたが、世話役は知りません。水はぶどう酒に変わっていたのです。
 世話役は、花婿を呼んで言いました。
「誰でも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回った頃に劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました。」
 それほど、美味しいぶどう酒に変わっていたのです。
 イエス様は、この最初のしるしをガリラヤのカナで行いました、そして、弟子たちは、この神の栄光を現す光景を見て驚き、イエス様を「信じた」のです。』
 このようなお話でした。

 本日の箇所は、イエス様の最初のしるし、水をぶどう酒に変えるという、イエス様がなさった最初の奇跡です。なお、福音記者ヨハネはイエス様の奇跡を「しるし」と呼んでいますが、それは、奇跡はただの不思議な出来事なのではなく、神様がどのようなお方なのかを証しする出来事だからです。不思議な出来事の奥に神様のメッセージが込められています。今日の箇所で言えば、「ユダヤ人が清めに用いる石の水がめ」は旧い契約のシンボルです。これがぶどう酒に変えられたのは、旧約の時代が終わり、新しい救いの時代が始まったことを表していると考えられます。また、「水がめいっぱいのぶどう酒」とは、主が、あふれんばかりの恵みで、私たちの心を満たしてくださることを表しているとも考えられます。
 そして、イエス様は水をぶどう酒に変えるという奇跡を弟子たちに見せることで、イエス様が神であることを証し、弟子たちの信じる心を開かれたのです。

 神様がこの箇所を通して私たちに伝えようとしているのはどんなことでしょうか?  今回このようにとらえました。
 水がぶどう酒に変わるという奇跡はどのように起きたでしょうか? まず、花婿の親戚でこの婚礼の主催者側と考えられるイエス様の母、マリアがぶどう酒がなくなった時に、「ぶどう酒がありません。」とイエス様に告げます。これはマリアのイエス様への信頼が導いた言葉です。このことを聞かされたイエス様は、召し使いたちにそこにあった水がめに「水をいっぱい入れるように」命じます。彼らは言われたとおりにします。「宴会の世話役に持って行くように」言われればそのようにして、運んでいきました。その時点では、召し使いたちは何が起きるかは分かっていません。しかし、イエス様がおっしゃったとおりに行動しました。世話役が味見をすると、極上のぶどう酒に変わっていました。奇跡は召し使いたちが水を運んでいるときに起きたのです。
 マリアがイエス様に状況を伝え、そして、召し使いがイエス様の命じられたことをその通りにすることで奇跡が起きたのです。そのことは私たちが何をなすべきかを教えているのではないでしょうか? 私たちがなすべきことは、マリアのようにイエス様に今の状況を話し、この召し使いのようにイエス様の命じたとおりに行動することではないでしょうか?

 ところで、先ほど読んでいただいた本日の使徒書(コリントの信徒への手紙一12:1-11)の4・5節にこうあります。
『恵みの賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、仕えるのは同じ主です。』
 こうパウロは言っています。
「賜物や務め、そして働きにはいろいろある」のです。この箇所の英語の聖書では「賜物」はgifts、「務め」はservicesでした。私たちは、自分に与えられたもの(賜物)、自分に命じられたこと(務め)に気づくことが大切と考えます。イエス様は「私に何を期待しているか、私に何を行えと言っているのか」ということです。

 ちなみに、この福音書で「召し使い」と訳されているギリシャ語は「ディアコノス」で「仕える者、奉仕者」とも訳される言葉です。英語の聖書ではservant(僕)とありました。私たちは「仕える者、僕」として自分の役割を自覚してイエス様の求めるとおりに行動するとき、「しるし」が示され「奇跡」が起きるのです。
 何か問題が起きたら、まずイエス様に状況を伝え、それから、イエス様が命じることを、何が起きるか分かっていなくても、ともかく、命じられた通りに行うことが重要なのだと思います。それがイエス様を信じること、イエス様への信仰だと言えます。

 私が「朝の祈り」の後、行っている「ロザリオの祈り」の中の、「光の神秘」の「第二の黙想」に、この「カナの婚礼」が取り上げられています。「絵で見るロザリオの祈り」のこの部分を拡大コピーしました。

    上に「イエス、カナの婚礼で最初のしるしを行う」とあります。中央から右側の若い二人が花婿と花嫁だと思います。イエス様の後ろにはマリアがいます。イエス様と花嫁の間にいる人が世話役でしょうか? その後ろにいるのがイエス様の弟子たち、その左右にいるのが召し使いと考えられます。
 下の文はこうです。「イエスは、母マリアのとりなしに応え、カナの婚礼で水をぶどう酒に変えて、弟子の信じる心をひらいてくださいました。この一連をささげて、イエスへの信仰を深めることができるよう聖母の取り次ぎによって願いましょう。」
 マリアが召し使いたちに言った「この方が言いつけるとおりにしてください」という言葉は、私たちに向かっても言っているのだと思います。この言葉は私たちをキリストへ導き入れてくれるものでもあります。

 今日はこの説教の後、「教会委員のための祈り」をお捧げしますが、教会委員になられた方々には、それぞれに与えられた「賜物(gift)」に応じて「仕える者(servant)」としてご奉仕していただけることに感謝いたします。  
 
 皆さん、私たちが困難な状況の時、それをイエス様に伝え、イエス様が命じたことを忠実に果たすなら、神様は私たちに最上級のぶどう酒を、分かち合ってくださいます。これこそが私たちキリスト者への恵みであります。
 そのような恵みを主が用意してくださっています。その恵みを味わえるように、私たちは、マリアがしたように、まず状況を包み隠さずイエス様に正直に伝え、この召し使いたちが行ったように、その時は意味は分からなくてもイエス様の命じたことに従って誠実に奉仕して参りたいと願います。結果として、主はあふれんばかりの恵みで、私たちの心を満たしてくださるのです。私たち一人一人が、そのことを心に留め、日々過ごすことができるよう祈り求めたいと思います。

 父と子と聖霊の御名によって。アーメン