教役者(逝去者)記念聖餐式「先輩教役者に思いを馳せ主の導きを祈る」
11月14日に小山祈りの家にて教区の教役者(逝去者)記念聖餐式及び教役者連絡会がありました。前者(レクイエム)で私は説教奉仕を行いました。11月・12月に逝去された北関東教区の教役者の中から、4年前に天に召された秋葉晴彦司祭にスポットを当てて話しました。

その説教原稿を以下に示します。
<説教>
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主、わたしの言葉と思いがみ心にかないますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン
ここのところ、この教役者連絡会の日程が、NCCの派遣で理事をしている盲伝(盲人伝道協議会)の総会やチャプレンをしている幼稚園の行事と重なるなどして、出席できませんでした。本日、久し振りに出席しました。
そして、今回、教役者(逝去者)記念聖餐式で説教する奉仕が与えられました。私がこの記念聖餐式で説教をするのは3回目です。1回目は2018年11月26日、執事の時で、その際は11月・12月の逝去者リストから竹田鐵三神父にスポットを当ててお話ししました。2回目は昨年、2023年5月16日、コロナ後、再開ししばらくした時で、この時は5月・6月の逝去者リストから山村暮鳥の義父、土田三秀執事について述べました。
そして、今回が3回目ですが、本日は今回の11月・12月の逝去者リストの上から二人目の秋葉晴彦司祭のことを中心にお話ししてみたいと思います。
その前に、前回も確認しましたが、北関東教区の亡くなられた教役者のレクイエムを行う意味について、私の考えを述べます。それは、教区の聖職の先輩である教役者の方々の魂の平安を祈るとともに、彼らの宣教・牧会の姿や生き方に思いを馳せ、そこに現された神のみ業を知ることにより、私たちが教役者としての在り方を見つめ、これからの歩みの上に主の導きを祈るということです。このことを念頭に、説教を行いたいと思います。
秋葉晴彦司祭は2020年11月2日に65歳で帰天されました。先生にはいろいろな時にお世話になりましたが、最初は私が聖職候補生だった時に先生が聖職養成委員長であり、その関係で多くの教えをいただきました。2014年から2015年くらいの頃だったと思います。まだ私が神学校に入る前で、教員をしながら月1回、最後には月2回、前橋や高崎の教会の「み言葉の礼拝」で奨励をしていた時、その原稿を秋葉先生にメールで送り、ご指導をいただいていました。先生は丁寧に原稿を読んでくださり、私のA4の原稿をB5に縮小され、その横にStudy Bibleの解説のようにコメントを書いて返信してくださいました。病状がかなり進んでいた頃だったと思うのですが、本当によく読んで具体的に細かく指導してくださいました。今日はそれをプリントアウトして持ってきました。コメント欄には「ここは不要」「ここで語られていることは良い」「ここはもう少しまとめて本論に入った方がいい」「ここを膨らませるともっと深まると思う」「他の福音書の引用は安易にしてはいけない」「自分の意見が記されないなら引用はすべきでない」「これは大切な指摘です」「意見の違いの紹介だけでなく、あなたがどちらを取るかが語られるべきでしょう」等と記述され、具体的に指導してくださいました。中には、「奨励は牧師でない信徒伝道者による説教である」と記すと「あなたはご自分のことをどのように位置づけておられるのでしょうか。都合が悪ければ礼拝は休んでもいい「信徒」の立場に未だ立っておられるのでしょうか。」という手厳しい言葉もありました。これらのコメントや助言は、私にとって「宝物」となっています。
次にお目にかかったのは、2015年7月~8月に行われた神学校1年の時の新生会での夏期実習でした。秋葉先生は最終日の振り返りの会に出てくださり、私が居室で居住者に懐かしい気持ちを持ってもらうためにハーモニカ演奏をしていたがやめたことを話したところ、その意図を聞かれ、「確信のあるものを出さないこと、我慢すること、お祈りもハーモニカと同様に思える。最後まで我慢してほしかった」と指摘されました。つまり、あくまで居住者の心情に寄り添った対応をすることの重要性を話されたのでした。
その夏は、新生会での実習の後、教区独自の実習があり、工房あかね「アトリエART・ON」で1週間行いましたが、それは高崎の教会の管理もされていた秋葉先生の指導によるものでした。
その後、私が神学校を出て最初の赴任地が榛名でしたが、その引き継ぎを秋葉先生が入院していた群大病院でしたこともはっきりと覚えています。それは2017年3月23日、群馬大学医学部附属病院北病棟8階食堂で行われ、妻の緑さんも同席されていました。この打ち合わせの中で、私に対して「勉強は続けること。聖書だけでも深い読み方を。勉強する時間を作ること。注解書は最新の物を購入すること(例えば「現代聖書注解」)。注解書は当日の聖書箇所だけでなく、それ以外の箇所も通読すること、それによりその著者の言いたいことが分かる。本は迷ったら買う、そして、読む時間を作ること。」という助言をしてくださいました。また、このようにも話されました。
『榛名の教会の良さは、牧会訪問がしやすいということ。必ず「福田さん、最近顔見ないね」と言われないように。私は誕生日近くになるとカードを持って家に配っていた。渋川の人などには月報と一緒に送っていた。待っていてはいけない。「こっちから行きます」という姿勢で。信徒から提案があったら実行する。例えば「お茶を飲みながら聖書を読みたい」という希望が出たら必ずやる→日程的に難しかったら日を移す。・・・そういう姿勢が見えると教会は動く→人が集まって来る。もっと集まるためにはどうしたらいいか、みんなで考えることが重要。』
秋葉先生は、このように聖職としての在り方、また牧会上の指導も具体的にしてくださいました。榛名では、信徒でなくても、一度でも教会に来られた方には誕生日にカードを持って訪ねたり、集会室で「聖書とお茶の会」なども行いましたが、それは秋葉先生の思いを継承したものでした。
私が榛名に赴任してからは、先生は入退院を繰り返しておられましたが、ご自宅におられるときは緑さんの車に乗り、時折主日礼拝に参列されておりました。しかし、だんだんそれも難しくなってきました。そして、2020年11月2日に逝去されました。
その時のことを、新生会の原慶子理事長がカトリックの月刊誌「聖母の騎士」2021年1月号にこう記しています。

少し長いのですが、秋葉先生の病状等にも触れていますので、そのままお読みします。
『2020年11月2日夕刻、日本聖公会榛名聖公教会牧師、新生会チャプレン・フランシス秋葉晴彦司祭は10年間の長い闘病生活を経て天に召されました。彼が榛名聖公教会の牧師として就任したのは2008年でした。当時から体調の不良が見られましたが、最初の手術が行われたのは2010年のことです。再発を重ねながら4回の手術、レーザー治療と放射線も空しく、体の機能が少しずつ衰え、最後は「息を神様に返して」生と死の境目もなく、神様の傍らに旅立って逝かれたのです。そのお顔は本当に「Saint(聖人)」のようでありました。私の母が亡くなった時、父は「神様とお話ししているようだ」と言っていました。きっと秋葉司祭も病名が分かり長い治療を開始した頃から病を受容し、すべてを神に委ね、病と共に地上の生を生きたのです。まだ会話もできた頃、彼の表情からこの世的な欲望は消え失せ、穏やかな優しいまなざしとゆっくりとした、明るい話し方が相手を心地よくしてくれるのでした。私は、一人残されるであろう妻の緑さんのことをとても気にかけておりました。彼女は何時会っても明るく、かいがいしく夫の看護に当たっていました。彼女が次第に夫と共に病を生き、病を受け入れていく彼女の気持ちになると涙が浮かんでしまうのですが、この涙は私を浄化してくれる涙、愛(かな)しい涙なのです。「晴彦さんは一つずつ、(体の機能を)神様にお返しして、最後に息をお返しして逝ったの」と緑さんは、夫の死の瞬間を話してくれました。秋葉司祭は10年の病との共生において「魂の聖人」になったのです。』
このように原慶子理事長は記されました。
秋葉先生は脳の腫瘍という重い病に冒されて10年以上という長きにわたって闘病生活を送り、天職である牧師・チャプレンという聖務の休職を余儀なくされ、天に召されました。私が知っている秋葉先生は、いつも穏やかで相手の目を見てゆっくり言葉をかみしめるように話されていました。すべてを主に委ね「み旨のままに」という心境に至るまでには、多くの葛藤や煩悶等があったことと思います。しかし、先生の誕生日に榛名のご自宅に誕生日カードを持って言ってお話しした時も、そのような様子は全くなく、後輩の聖職である私に榛名における牧会上の配慮について話しておられました。
秋葉先生が帰天され4年が経ち、私も司祭になって5年が過ぎましたが、先生の思い・願いに応えた聖職になっているか心許ないですが、先生の教えを胸に主の導きを求めたいと思います。
本日の福音書、ヨハネによる福音書14章の冒頭に「心を騒がせてはならない」とあります。ここから「最後の晩餐」後のイエス様の告別説教が本格的に始まります。ご自身の受難や弟子の裏切りの予告をされ、弟子たちは心穏やかではありませんでした。秋葉先生も難病を告げられたり自身の死を予感した時、心穏やかであったはずはありません。しかし、死ですべてが終わりでなく、後の世でも父なる家に住まいが用意されていることを確信し、「道であり、真理であり、命である」イエス様に全幅の信頼を置き、その導きに従う時に平安が与えられたのではないでしょうか?
入堂で歌った聖歌520番「いつくしみ深き 主の手にひかれて」をご覧下さい。この聖歌の原題は「He leadeth me: O blessed thought!(彼は私を導く、おお、祝福された考え)」です。Heとは神のことであり、「神が私を導く」ということは、まさに祝福なのです。秋葉先生もこの神に祝福のうちに導かれたのだと思います。そしてそれは、私たちにも言えることであり、私たちはこの世も後の世も、いつくしみ深き主の手にひかれて、導かれ歩むのであります。
本日は、主に65歳で帰天されたフランシス秋葉晴彦司祭の聖職としての厳しさや、すべてを主に委ねる信仰等に思いを馳せました。私たちは、そこに現された神のみ業を通して、自身の教役者としての在り方を見つめたいと願います。秋葉先生始め先輩教役者の御国での魂の平安を祈ると共に、私たち一人一人のこれからの歩みが主の御心にかなうよう主の導きを祈り求めたいと思います。
父と子と聖霊の御名によって。アーメン