マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「レオ・レオニ作 スイミー」に思う』

 先日、東京から小学校2年生の孫娘が夏休みで十日ほど泊まりに来ていました。その子が、国語で勉強したと言って「スイミー」をそらんじていたので驚きました。私も小学校2年は2回担任したことがあり、「スイミー」も授業でしていたので、馴染みがあり久しぶりに、「スイミー ちいさな かしこい さかなの はなし」(レオ・レオニ作 谷川俊太郎訳)を読み返してみました。だいぶ印象が違っていました。本文はこうです。

『広い海の どこかに、小さな魚のきょうだいたちが、楽しくくらしていた。
 みんな赤いのに、一 ぴきだけは、からす貝よりも まっ 黒 。
 およぐのはだれよりも はやかった。
 名前はスイミー
 ある日、おそろしい まぐろが、 おなかを すかせて、
 すごいはやさで ミサイル みたいに つっこんで きた。
 一口で、まぐろは 小さな 赤い 魚たちを、 一ぴきのこらず のみこんだ。
 にげたのはスイミーだけ。
 スイミーはおよいだ、 暗い 海のそこを。
 こわかった。さびしかった。とてもかなしかった。
 けれど、海には すばらしい ものが いっぱい あった。
 おもしろいものを 見るたびに、 スイミーは、 だんだん 元気を とりもどした。
 にじ色のゼリーのような くらげ・・・
 水中ブルドーザーみたいな いせえび・・・
 見たこともない 魚たち、見えない糸で ひっぱられて いる・・・
 ドロップみたいな岩から 生えて いる、こんぶや わかめの 林・・・
 うなぎ。 顔を 見る ころには、 しっぽを わすれているほど 長い・・・
 そして、風にゆれる もも色の やしの木みたいな いそぎんちゃく。
 そのとき、岩かげに スイミーは 見つけた。
 スイミーのと そっくりの、小さな魚のきょうだいたち。
「出てこいよ。 みんなで あそぼう。 おもしろい ものが いっぱいだよ!」
「だめだよ。」小さな赤い 魚たちは、 答えた。
「大きな 魚に 食べられて しまうよ。」
「だけど、いつまでも そ こに じっとしているわけには いかないよ。なんとか 考えなくちゃ。」
 スイミーは考えた。いろいろ考えた。うんと考えた。
 それから、とつぜん、スイミーはさけんだ。「そうだ!」
「みんないっしょに およぐんだ。 海で いちばん 大きな 魚のふりをして!」
 スイミーは教えた。けっして、 はなればなれに ならない こと。 みんな、もちばを守ること。
 みんなが、一ぴきの大きな魚みたいにおよげるようになったとき、
 スイミーは言った。「ぼくが、 目になろう。」
 あさの つめたい水の中を、 昼のかがやく光の中を、みんなはおよぎ、 大きな魚をおい出した。』

 先日、私がチャプレンをしているマーガレット幼稚園の8月の誕生会でも、この絵本を取り上げました。1歳から6歳までの幼児たちが集中して、絵をよく見てお話を聞いていました。読み終わって「どこが良かった?」と聞くと、圧倒的に、最後の「大きな魚を追い出したところ」という答えが多かったです。では「どうして大きな魚を追い出せたの?」と聞くと「スイミーがよく考えたから」という答えがすぐに返ってきました。意外でした。私としては「みんなが協力してスイミーが目になったから」という答えを想定していました。
 スイミーのテーマについてはいろいろ考えられますが、そのためには、やはり原文にあたる必要があると思って、レオ・レオニのオリジナルの英文の絵本を購入しました。

 英文の題名は「Swimmy」だけで、谷川俊太郎訳にはあった副題「ちいさな かしこい さかなの はなし」はありませんでした。以下は原書の全文です。

『 A happy school of little fish lived in a corner of the sea somewhere.
  They were all red. Only one of them was as black as a mussel shell.
 He swam faster than his brothers and sisters. His name was Swimmy.
 One bad day a tuna fish, swift, fierce and very hungry, came darting
through the waves. In one gulp he swallowed all the little red fish.
 Only Swimmy escaped.
 He swam away in the deep wet world. He was scared, lonely and very sad.
 But the sea was full of wonderful creatures, and as he swam from marvel 
to marvel Swimmy was happy again.
 He saw a medusa made of rainbow jelly…
 a lobster, who walked about like a water-moving machine…
 strange fish, pulled by an invisible thread…
 a forest of seaweeds growing from sugar-candy rocks…
 an eel whose tail was almost too far away to remember…
 and sea anemones, who looked like pink palm trees swaying in the wind.
 Then, hidden in the dark shade of rocks and weeds, he saw a school of
little fish, just like his own.
“Let's go and swim and play SEE things!” he said happily.
“We can't,” said the little red fish. “The big fish will eat us all.”
“But you can't just lie there,” said Swimmy. “We must THINK of something.”
 Swimmy thought and thought and thought.
 Then suddenly he said, “I have it!”
“We are going to swim all together like the biggest fish in the sea!”
 He taught them to swim close together, each in his own place,
 and when they had learned to swim like one giant fish, he said, “I'll be the eye.”
  And so they swam in the cool morning water and in the midday sun and
  chased the big fish away.

 やはり日本語とはニュアンスや強調等が違っています。谷川俊太郎はさすが詩人で、直訳でなく詩的に訳しています。
 英文では文章の中に動詞の文字すべてを大文字にしているところがあります。岩陰に仲間を見つけた時のスイミーの言葉です。
“Let's go and swim and play SEE things!”
“We must THINK of something.”
スイミーは、そして作者のレオ・レオニは「SEE」と「THINK」を強調しています。前者を含む部分を谷川俊太郎は意訳して「おもしろいものがいっぱいだよ!」としていて「見る」という強調が薄れたのは残念でした。後者を含む部分の訳は、「なんとか 考えなくちゃ。」と「考える」が強調されていました。
 この箇所の絵本の絵はこうです。

 すべて大文字の単語、「SEE」と「THINK」が視覚に訴え、効果的だと思います。きちんと「見る」ことと、しっかり「考える」ことに価値を置いていることが推察されます。
 「見る」ことの効能については、マグロによって仲間を失ったスイミーが海の中のいろいろな素晴らしいものを見ることによってだんだん元気を取り戻したことが挙げられると思います。
「He saw a medusa made of rainbow jelly…」etc.です。
 考えることの強調は英文ではこうあります。
「Swimmy thought and thought and thought.」
ここを谷川俊太郎はこう訳しました。
スイミーは考えた。いろいろ考えた。うんと考えた。」
「考えた」を三回繰り返すことで、原文のニュアンスを伝えています。

 誕生会で幼児に「どうして大きな魚を追い出せたの?」と聞いて「スイミーがよく考えたから」という答えがすぐに返ってきたのは、この話の本質を子供がしっかりつかんでいたからだと思います。
 訳した谷川俊太郎がつけた副題「ちいさな かしこい さかなの はなし」にある「かしこさ」とは、「現実の中に素晴らしいものを見て、しっかりとよく考えること」なのだと思います。
 レオ・レオニ作 谷川俊太郎訳「スイミー ちいさな かしこい さかなの はなし」から、このようなことを思い巡らしました。