マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「ウェスレーとメソジスト運動」に思う』

 前々回のブログの記事で「ウェスレーの契約の祈り」について記しましたが、もう少しウェスレーについて、今回は特にメソジスト運動について思い巡らしたいと思います。
 メソジスト運動は、本国英国ではさほどの勢力にはなりませんでしたが、アイルランドアメリカ、ドイツなどに早くから布教し、メソジスト教団は、現在アメリカでは信徒数が2番目に多いプロテスタント教団です。ちなみに、一番多いのはバプテスト教会です。メソジスト(methodist)とは「几帳面屋」という意味で、その生活の仕方(method)の几帳面さに由来しいます。
 ウェスレーの生い立ちやメソジスト運動に至るまでの英国のキリスト教界等については、この本「人と思想 ウェスレー」(野呂芳男 著・清水書院)に詳しく記されています。

 ウェスレーが始めたとされるメソジスト運動は、ある意味、当時の社会情勢の産物とも言えるのではないでしょうか?   、

 神学校にいたとき、「教会史」の授業で「宗教改革以降で自分の関心のあることを一つ決めて自分なりにレポートする」という課題が出されました。そのとき、以前から関心のあったメソジスト運動についてレポートし、特に「メソジスト運動の今日的意義やその運動から私たちが学ぶこと」について自分の考えを記しました。以下はそのときのレポートを改編したものです。

  18世紀のイングランドにおける宗教的沈滞ムードの中で、次第に信仰復興運動が広がりましたが、ジョン・ウェスレーのメソジスト運動は、このような運動の一環として考えられます。彼らは教会の外で、個人の信仰的・道徳的覚醒を促しました。
「ウェスレー兄弟によって始まったメソジスト運動は、産業革命の結果、従来の教会区から全く見捨てられていた新しい労働者階級の人々に、生活上の指針と希望を与えて、着々と広がった。ジョン・ウェスレーは主として街頭で説教や礼拝を行い、貧困と不安の中で生活していた人々に明確で単純な信仰生活の具体的指針を与え、人々が最も必要としていた精神的安定と確かさを与えた。弟のチャールズは兄をよく補佐し、多くの優れた讃美歌の作詞、作曲を行った。礼拝の中で讃美歌を歌う慣行はメソジスト運動によって始まったと言ってよい。小グループの信徒運動を行い、社会問題に大きな関心を抱きその改善のための努力をした。当時の産業革命から生じてきた様々な社会問題を教会の使命の一つとして受けとめ、そのために真剣な努力を払った(塚田理「イングランドの宗教」P.248~250等」)」のです。

 「メソジスト運動の今日的意義及び私たちがメソジスト運動から学ぶこと」は多くありますが、今回は3つに絞って考察します。
(1) 世界が教区
  1738年に自分の回心とみなすことになる霊的体験をしたウェスレーは、それ以降「世界が自分の教区」と考え、『齢35にして馬上の旅を始め、日に3,4回の説教をしながら年に数千マイルの割合で、イングランドスコットランドウェールズの各所を巡り歩いた。彼はこれを52年間続け、その間に22万5千マイルを踏破し、4万回の説教をしたということが彼の「信仰日誌」から推察される(ムアマン「イギリス教会史」P.389~390)』。また、『彼の唯一の関心事は魂の回心であった。彼の生涯の座右銘は「わたしはもう二度と機会がないかのごとく、そして、瀕死の者が瀕死の者にするごとく、説教するのだ」であった。彼の説教にはどれも、それが彼の、そして会衆が聞く最後の説教であるかのような真剣さがあった。ここに彼の成功の秘密がある(ムアマン「イギリス教会史」P.394)』とあります。
 今日、私たちは説教や牧会の対象を教会区内の信徒と考えがちですが、彼のように「世界がわが教区」と広くとらえ、教会の外に対象者がいることを心に留めたいと思います。さらに、「なされる説教や宣教は一回限りのものである」との発想を持ち、全身全霊で真剣に行えるよう神から導きと力をいただくように祈り求めたいと思います。
(2) 社会支援活動を支える倫理  
 初期の頃、ウェスレーの所属したオックスフォード大学のホーリークラブでは牢獄訪問、貧しい家族の訪問、救貧民の訪問、恵まれない子どもたちの学校のための奉仕等を行いました。中期以降、ウェスレーは伝道活動を行うとともに、医学書の出版や無料診療所の設立、病人の訪問活動、炭鉱夫の子供の救済のための学校設立、貧困者のための無利子ローンの企画などの社会支援活動を行いました。これらを行うためには時間を含めた資源(財源)が必要になりますが、それを支える倫理はどのようなものでしょうか。このことでは、中期の説教「金銭の使用法」の中の言葉が参考になります。それは『ウェスレーの「3つの簡明な規則」である「Gain all you can, Save all you can, Give all you can.」であり、「可能な限り得て、可能な限り救い(節約し/蓄え)、可能な限り与えよ」などと訳すことができます。第1の規則を通じて得られ、第2の規則を通じて空費から救われ一時的に蓄積された金銭は、第3の規則「可能な限り施せ」をもって、はじめて神意にかなう「使い方」として完結する』(「ウェスレー・メソジスト研究第15号」P.95,100)』と言います。報酬を得たり蓄えることはよいことで、金銭や時間等の資源を他の人のために使うこと、これが神の御心だというのであります。
 今日、日本の社会は金銭や時間等の資源を、自分(または家族)のために使うことばかりで、困っている人など他の人のために使うことが余りに少なくはないでしょうか。キリスト者も「可能な限り得て、可能な限り救い(節約し/蓄え)、可能な限り与えている」と断言できる者は多くないでしょう。他の人に施す慈善や奉仕は神の御心にかなうことなのです。発想の転換が必要であり、神への固い信仰と日々の祈りによってそれは可能になると考えます。
(3) 小グループによる組織
 メソジスト運動は、分離した教会を形成しようとしていたわけではありませんが、信徒が増えるに従って組織化が必要になってきました。ウェスレーは「集会」(Society)と名づけたいくつかのグループを組織しました。メソジスト「集会」は「救いを完うするために、共に信仰の力を求め、共に祈り、勧告の言葉を聞き、愛のうちに見守り合おうとして結ばれた人々の一団」と位置づけられました。『この「集会」(Society)が大きくなりすぎて会員に十分行き届いた配慮ができなくなると、ウェスレーは、11人の構成員と1人の指導者からなる「組会」(Class Meeting)に分けた。組会は、毎週集まって聖書を読み、祈り、信仰の事柄について論じ、基金を集めた(フスト・ゴンザレス「キリスト教史下巻」P.213)』。そのほか、年令、性、職業の別による「班会」(Band Meeting)などがあった。『「組会」と「班会」は、この世において真のキリスト教、純潔な教会を追求する「教会内の小さな教会」として霊的な訓練、交わり、養育、霊的な説明責任を持って、具体的な霊性生活を実践して行った(「ウェスレー・メソジスト研究第8号」P.100)』とあります。
 私たちの教会でも、婦人会や青年会など性別や年令等による小グループ、オールター・ギルドや日曜学校教師の会など働きや役割等による小グループ等々があります。しかし、それは単なる集まりにすぎず「霊的な訓練、交わり、養育等、具体的な霊的生活の実践」になっているでしょうか。信徒が必ずどこかの小グループに所属するなどして、「救いを完うするために、共に信仰の力を求め、共に祈り、勧告の言葉を聞き、愛のうちに見守り合おうとして結ばれ」る関係を持つすることは、個人が隔離されがちな今日こそ、必要と考えます。それは神と人とつながる霊性であり、このことに特に配慮していきたいと思います。