『ピノキオとキリスト教』
私が月に2度、障害者施設で行っているミュージック・ケアでは、昨年から絵本を読んでいます。7月8日(月)のミュ-ジック・ケアでは、「ピノキオ」(原作 カルロ・コッローディ 文絵 いもとようこ)を読みました。長いお話でしたが、皆さん集中して見たり聞いたりしてくれました。
次の日、9日(火)にはチャプレンをしてる幼稚園の誕生会があり、同じ絵本を読みました。参加していたのは1歳から6歳までの80人ほどの子どもたちでしたが、物語のクライマックスではシーンと静まりました。読み終えて「どこが良かったですか?」と尋ねたら、(最初の)ゼベットじいさんが、ピノキオを「人間の子どもにしてほしい」と祈るところ。ピノキオが嘘をつくと、鼻が伸びたところ。自分の命と引き替えにゼペットじいさんを助けたところ。(最後の)ゼペットじいさんとピノキオが抱き合って喜んだところ。などの答えがありました。
私は子供たちにこのように話しました。『ピノキオは狐と猫に誘われて、学校に行かないで芝居を見に行って、星の女神に嘘を言って鼻が長くなりましたが、正直に言うと元通りになりました。「遊びの国」に行ってロバになってしまいましたが、家に帰ってゼペットじいさんがクジラに飲み込まれていることを知ると、海に飛び込んで助けに行きました。自分の命と引き替えにゼペットさんを助けたピノキオは星の女神であるイエス様によって本当の人間になったのですね。私たちもゼベットじいさんを助けたピノキオのように、「勇気のある優しい心」を持って、本当に生きる神様のよい子どもになりたいですね。』
そして、最後にこう祈りました。
『父なる神様、私たちを7月の誕生会のために集めてくださりありがとうございます。お誕生日を迎えたお友達をお祝いしてください。今日は「ピノキオ」の話を聞きました。自分の命と引き替えにゼペットさんを助けたピノキオは、星の女神であるイエス様によって本当の人間の子どもになりました。私たちもゼベットさんを助けたピノキオのように、「勇気のある優しい心」を持って、本当に生きる神様のよい子供になれるようお導きください。イエス様によってお願いいたします。アーメン 』
私は誕生会の前日には、ディズニー映画の「ピノキオ」をDVDで見ました。1940年の作品とは思えないほど、動きがスムーズで立体感もありました。

原作とは違うところがありますが、ディズニー映画「ピノキオ」のあらすじは以下のようです。
『ゼペットじいさんが、木の操り人形をつくってピノキオと名づけた。「子供がほしい」というゼペットじいさんの願いをかなえるため、妖精がピノキオに命を与え、「よい子になれば、本当の人間の子供になる」と約束した。ピノキオは「良心」というものが何かわかっていなかったので、コオロギの「ジミニークリケット」が必死で良心を教えようとしたが、悪商人に誘拐されて『操り人形』として見せものにされてしまった。ピノキオが嘘をつくと、鼻が伸びたが、正直に言うと元に戻った。間一髪でその場から逃げ出し、家に帰る道中でずるがしこいキツネとネコにだまされてしまう。
誘拐されたピノキオはいわゆる「子供が自由に暮らせる国」に連れていかれ、たばこなど悪いことをしようとするが、悪いことをしていたら友達がどんどんロバになっていく。ピノキオにも耳が生えて、パニックになる。
そのころピノキオを探しにゼペットは船で海をわたっていたが、クジラに食べられてしまった。ピノキオはくじらに飲み込まれたゼベットを助けるために海に潜った。ゼペットと再会し、火をたいてクジラから脱出した。気を失ったゼベットを、ピノキオは必死に岸まで運び、自分の命と引き替えにゼペットさんを助けた。要請ははピノキオをよい子だと認め、本当の人間の子供にしてくれた。ピノキオとゼペットはそれから幸せに暮らした。』
「ピノキオ」は魚の中に三日三晩滞在するという「ヨナ書」をもとにして書かれ、キリスト教色の強いお話だと思いました。
最初に目に留まるのは、ピノキオが学校に行く時にゼベットさんがりんごを持たせるところ、これは創世記にでてくる「知恵の実」を思わせます。このリンゴは誘惑を意味し、誘惑に負けて堕落していくピノキオを暗示させています。
ピノキオは何とかゼベットさんを助けて岸に打ち上げられましたが、死んでしまいました。罪(ロバの耳とシッポ)を持ったままです。しかし、ゼペットさんの祈りで起き上がり(復活し)、妖精によりピノキオは本当の人間の子どもになりました。これは「罪に死に、キリストに生きる」ということであり、洗礼の意味とも重なります。一度死んで、新しい命をいただいて永遠の命に生きられるようにしていただいたのです。
また、ゼベットじいさんは人形を作り(創造)、ピノキオを海の底まで捜しに行きました。この姿は「迷い出た羊」を捜し続けるイエス様であり、放蕩息子の帰りを待ち続ける父と重なります。
ピノキオはまさに私たちのことであり、この物語は私たちの人生そのものと言えます。私たちは一人一人神によって創られ愛されているのに、神から離れて迷い出て(それが「罪」)、大変な目にあいます。しかし、聖霊の導きにより悔い改めて罪赦されます。そして、神は新たなる力を与えて私たちを立ち上がらせてくださるのです。
このようにキリスト教色が強いのは、原作者のカルロ・コッローディ(1826年- 1890年)の経歴とも関係があると思います。コッローディは、イタリアの作家でトスカーナ大公国のフィレンツェ出身。コッレ・ディ・ヴァル・デルザの神学校を経て、1843年、スコローピ修道会の学校を卒業しました。専門的にキリスト教神学を学んだのです。
ディズニー映画は世界中で上映され、様々な宗教の人に受け入れられるよう基本的に宗教色はあまり出さないのですが、「白雪姫」に続く長編アニメの第2作である本作「ピノキオ」では、まだあまりその方針が徹底されず、かなりキリスト教神学が象徴的に描かれていたと考えます。木でピノキオを創造したゼペットじいさんが父なる神、奇跡で命を与えた妖精が子なるイエス様、良心で導いたコオロギが聖霊とも考えられます。三位一体です。この三位一体の神が迷える小羊であるピノキオの私たちを、新たに真に生きる人間としてくださるのです。感謝であります。