マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『キャロル・キング「君の友だち(You've got a friend)に思う』

 先主日聖餐式福音書は、マタイによる福音書4 :12-23でした。説教の中で、イエス様は「闇の中に住む民」にとっての「大いなる光」であると語りました。また、中心聖句は『そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。』(4 :17)と考えました。
 これらのことから思い浮かぶポピュラー・ソングがあります。それがキャロル・キング「君の友だち(You've got a friend)」です。私はこの曲をこのCD(+ブルーレイ)「キャロル・キングTapestry Live at Hyde Park』で聞いて(見て)います。

 これはキャロル・キングが2016年に英ロンドンのハイド・パークで実施した、名盤『つづれおり』(1971年)の再現ライブ(約90分)です。6万5000人の聴衆を集めた同公演は、『つづれおり』の発売45周年を記念して実施されました。同アルバムを全曲ステージで披露したのは、この時が初めてだったということです。ここでの「君の友だち(You've got a friend)」は下の URLで聞く(見る)ことができます。
https://www.dailymotion.com/video/x7lwlwk

「君の友だち(You've got a friend)」の歌詞と訳は以下の通りです。

When you’re down and troubled And you need some loving care
And nothing, nothing is going right Close your eyes and think of me
And soon I will be there To brighten up even your darkest night
君が落ち込んで悩んで 愛ある配慮が必要で
何もかもうまくいかない時は 目を閉じて私のことを考えて
そしたらすぐに 私はそこにいって 明るくしてあげる どんなに暗い夜も

You just call out my name And you know wherever I am
I’ll come running to see you again Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call And I’ll be there You’ve got a friend
ただ私の名前を呼べばいい 私はどこにいたって
走って行くよ 君にまた会いに 冬 春 夏 そして秋だって
ただ呼んでくれれば そこに行くから 君には友達がいるんだ

If the sky above you Grows dark and full of clouds
And that old north wind begins to blow Keep your head together
And call my name out loud Soon you’ll hear me knocking at your door
もし君の頭上で空が 暗くなり 雲に覆われ
あの北風が吹き始めたら 頭をしっかり上げて
私の名前を大声で呼んで すぐに行ってドアをノックするから

Now ain’t it good to know That you’ve got a friend
When people can be so cold They’ll hurt you, listen, desert you
And take your soul if you let them Oh, but don’t you let them
ほら それを知るのはいいよね 君には友達がいるって
冷たい人たちはね よく聞いて 君を傷つけたり 見捨てたり
君の心まで奪っていく 彼らの自由にさせたら ああ でもそうはさせないで

You’ve got a friend Ain’t it good to know
君には友達がいる それを知るのはいいよね

 まるで聖歌(賛美歌)の「いつくしみ深き友なるイエスは」のようです。ハイド・パークコンサートでは、キャロル・キングは、曲の中間部で感極まって思わず「Amen(エーメン)」と叫んでいます。
 私は「君の友だち(You've got a friend)」の友だち(friend)とは、救い主であるイエス様(Jesus)のことのように思うのです。そして、「You've got 」と現在完了形を使うことで、過去のどこかの時点で友達を手に入れて、その状態が続いている、ずっと友達でいる(この先もずっと)という意味が感じ取れます。まさにイエス様は過去から現在、未来に至るまで、私たちにケアが必要なとき呼べばすぐに来てくれる「私の友だち」なのであります。

 なお、余談ですが、ギリシャ語にも完了形があり、動作の完了とその結果生じた現在の状態の継続を表すことがあります。先主日の中心聖句のイエス様の言葉「悔い改めよ。天の国は近づいた」は英語の聖書では、“Repent, for the kingdom of heaven has come near.”(NRSV)でした。この文では「天の国が近づいて、もうここに来ている」というニュアンスが感じられ、日本語よりもギリシャ語原文に近いように思います。

 「君の友だち(You've got a friend)」に戻ります。いつしみ深いイエス様は、今もこれからもずっと私たちの友だちです。マタイ福音書の最後において、復活したイエス様はガリラヤの山で弟子たちに述べた大宣教命令の最後でこう言っています。
「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28:20)
 この聖句を心に留め、日々過ごして参りたいと思います。