マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『ホルマン・ハントの絵画「世の光」に思う』

 先主日の説教でホルマン・ハントの絵画「真夜中の友人」も活用し、執拗に求め続けることの必要性とそれに応える神様について述べました。この絵では友人の家の戸の前で、執拗に懇願している男性の様子が描かれていました。実は、戸を叩き続ける構図の絵画に、私は月2回、出会っています。それが新町聖マルコ教会の入口に飾られているこの絵です。

 この絵では、イエス様御自身が戸を叩いています。この絵が描いているのはヨハネの黙示録3章20節であると考えられます。
 「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう。」
 この御言葉はラオディキアの教会に宛ててヨハネが書いた手紙の中にあります。ラオディキアは小アジア(今のトルコ)西部フリギア地方の主要都市です。ヨハネの黙示録が書かれた時代のラオディキヤの教会は霊的に非常に生ぬるい状態にありながら、自分たちの現状には気づいておらず、イエス・キリストが教会の外に立っておられると言われるほど、信仰的に堕落し、悔い改めが必要な状態であったと言われます。

  このヨハネの黙示録3章20節について、ホルマン・ハントは「世の光(The Light of the World)」と題して描いています。

 ホルマン・ハント(フルネームはウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt、1827-1910年)は英国ヴィクトリア朝に活躍したラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)の画家です。ラファエル前派は、ラファエロを規範として形骸化した形式美を求めるアカデミズムに反発し、ラファエロ以前の素朴な初期ルネサンスやフランドル美術に立ち返ろうとしました。最初のメンバーは王立アカデミーの学生3名(ミレイ、ハント、ロセッティ)で、彼らは1848年に「前ラファエロ兄弟団(ラファエル前派)Pre-Raphaelite Brotherhood」を結成しました。
 この絵の題名の「世の光」は、ヨハネによる福音書8章12節に由来します。
「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」。
 この絵は、ある家の戸を叩く主イエス・キリストを描いています。イエス様が持っている7面のランプは、黙示録に書かれている7つの教会を意味しています。イエス様の提げたランプからは、暗闇を照らす温かい光が流れ出し、イエス様の足元に、草に、建物にからまる蔦にも穏やかな温かさを与えていきます。まさに「命の光」です。
  ホルマン・ハントは生涯に「世の光」と題した絵画を3枚制作しています。今回紹介しているのは1851-53年に制作されたオックスフォード大学キーブル・カレッジのチャペルにあるものです。2つ目のヴァージョンは、最初のものと、ほぼ同時期に描き始め、1856に完成し、現在、マンチェスター市立美術館にあります。3つ目のヴァージョンは、1904年に完成し、現在、ロンドンのセント・ポールズ大聖堂の北側袖廊にあるもので、私が見たのはこの作品です。この絵の額の下にはこの聖句が記されています。
「Behold, I stand at the door and knock; if any man hear My voice, and open the door, I will come in to him, and sup with him and he with Me. (Revelation 3-20)
見るがよい、私は戸口に立ち、ノックをする。もし誰かが、私の声を聞き、その扉を開けるなら、私は、その者のもとへ行き、共に食事をするであろう。(ヨハネの黙示録3-20)」
 ホルマン・ハント「世の光」の絵では、イエス様が家の外に立ち、扉を叩いています。この絵を見たある人がハントに尋ねました。「どうしてこの絵の扉の外側には取っ手が付いていないのですか?」と。確かにこの絵の扉の外側には取っ手がありません。ハントは答えました。「人の心の扉の外側には取っ手は付いていない。心の扉を開けられるのは内側からだけである」と。心の扉は内側からしか開けることができず、外側からは開けることができない。だからイエス様は戸を叩いて、扉が開かれるのを待っておられるというのです。

「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう。」
 イエス様は私たち一人一人の心の扉を叩いておられます。そして私たちが心の扉を開けてイエス様をお迎えして共に恵みの食卓に付く時を待っておられます。この扉を開いた時に、私たちは、主からの愛をいただき罪赦され、豊かにされます。そして、主イエス様との食卓に招かれます。
 私たちは主日ごとにその食卓、聖餐式に預かっています。これは、神の国の世継ぎとされた者たちが神の国でいただく祝宴の先取りの食事です。私たちのためにイエス様が用意してくださった食事です。ここに救いの姿が示されています。感謝して受け取りたいと思います。
 皆さん、世の光である主イエス・キリストは私たち一人一人の家の戸口に立って扉を叩いておられます。私たちは心の扉を開き、主イエス様と共に喜びの食事をさせていただきましょう。