マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

映画「バラバ」に思う

 復活前主日や受苦日の礼拝の福音書で、総督ピラトが「イエスとバラバのどちらを釈放するか」と尋ねたとき、群衆は「バラバ」を選んだことが記されていました。先週の「聖書に聴く会」でもバラバのことが少し話題になりました。そこでは「バラバは身体的には自由にされたが、精神的には救われない」というような意見があったように思います。暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバは自分の意志とは関係なく、イエス様と天秤にかけられ釈放されました。その後のバラバはどう生きたのでしょうか? 
 聖書にはそのことについては記されていません。多くの人がバラバのその後の生き方には関心があったと思われますが、その後の彼を描いた作品としてはスウェーデン人のペール・ラーゲルクヴィストが1950年に発表した小説「バラバ」が有名です。彼はこの小説によって1951年にノーベル文学賞を受賞します。この度、この作品を映画化したイタリア・アメリカの合作映画「バラバ」(1961年制作)をDVDで観ました。

 この映画の主演(バラバ)はフェリーニの「道」の演技で著名なアンソニー・クインです。豪壮の様子を示しながらもナイーブな感情を持つこの作品のバラバにぴったりの役どころと思いました。
 ネタバレになってしまうと思いますが、こ映画のあらすじは以下のようです。
『2000年前のエルサレム。盗賊の親玉バラバは獄中の身にあったが、罪人を1人裁く代わりに別の1人の罪人を釈放するという、年に一度のユダヤ民衆の慣習によって、イエス様と引き換えに釈放されることになった。
 自由になったバラバはかつての愛人レイチェルと再会するが、彼女は既にキリスト教の信仰に目覚めており、バラバにも改心(回心)するよう諭すが、彼はそれを拒否し、イエス様を口汚く罵る。
 ゴルゴダの丘で磔になるイエス様の頭上で、太陽が黒い影に覆われ、イエス様は息を引き取られる。レイチェルはバラバにイエス様は三日後に復活すると告げ、気になったバラバが墓に向かうとイエス様の遺骸は消え失せ、墓は空だった。

 バラバは誰かが持ち去ったのだと言って、復活を信じようとしない。
 やがてレイチェルが他のキリスト教徒たちと共に捕えられて処刑されると、バラバは荒れて再び捕えられ、シチリアの硫黄鉱で強制労働に従事させられる。有毒ガスの渦巻く地獄のような労役を生き抜いたバラバとキリスト教徒のサハクは州総督のはからいによって、剣闘士養成所へ入れられる。
 しかし、サハクは闘技場で相手を殺すことを拒んだため、反逆罪に問われ、隊長のトルヴァドに処刑された。怒ったバラバはトルヴァドと対決、彼を倒した。
 皇帝の命によって自由人になったバラバがサハクを葬った直後、ローマで大きな火災が起きた。バラバはこのとき「今こそ古きものを焼き払うのだ」という神の声を聞いたように思い、狂ったように火をつけて回り、捕えられた。多くのキリスト教徒と共に十字架にかけられたバラバは、最後は静かに「すべてを委ねます」と安らぎに満ちて息を引き取るのだった・・・』

 バラバは、イエス様が身代わりになって、死刑を免れ、解放されました。その後の彼を待っていたのは、様々な苦難でしたが命を長らえました。それをサハクは「生き延びたのは神意」と言っていました。サハクからイエス様のことを教えられても、バラバはこれを否定し、反抗し、悶々として過ごしました。
 しかし、バラバは、最後には、すべてを十字架の上のイエス様に委ねたのでした。本当の救いとは何か、この作品は多くのことを考えさせます。
 バラバはイエス様によって身体的に自由を得ました。それは彼が何かを為したからではありません。「Bar abba [s]」という名前は「父の息子」を意味しますが、バラバも父なる神様の息子であるゆえと言えます。しかし、その自由はつかの間で、その後は苦難があり逡巡する日々を過ごします。そして、すべてを主に委ねたとき平安を得たのでした。
 このことは私たちにも言えることではないでしょうか? 
 私たちは人生のあるときにイエス様に出会い、自分自身の生き方が変わり(回心)、自由を得ました。それは、私たちが何か立派な行いをしたからでなく、父なる神様の子どもであるゆえと言えます。しかし、それですべてが解決した訳でなく、その後の人生では苦難があり逡巡の日々を経験しています。それが今も現在進行形であるように思います。すべてを主に委ねるとき平安を得ることができるのは真実です。復活したイエス様は今も生きて私たちを見守り、共にいて下さいます。そのことを忘れず、イエス様を信頼して日々を過ごして参りたいと思います。