マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『ツツ大主教の信仰と働き(1)』

 昨年の暮れも押し迫った12月26日、大きなニュースが世界を走りました。南アフリカアパルトヘイト撤廃へ大きな働きをされたツツ大主教が帰天されたというニュースでした。翌日の新聞では、こう報じられました。 
『<デズモンド・ツツ大主教死去 南アフリカノーベル平和賞受賞者>
 南アフリカアパルトヘイト(人種隔離)政策に反対し、非暴力の撤廃運動を続けたノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大主教が26日、南ア西部ケープタウンで死去した。90歳だった。南ア大統領府が同日発表した。ツツ氏は1997年に前立腺がんと診断され、入退院を繰り返していた。
 31年、南ア北部トランスバール地方のクラークスドルプの黒人居住区に生まれた。果物売りやゴルフ場のキャディーをしながら苦学して教師になり、57年の黒人差別教育立法に反対して聖職に転じた。79年からは南ア・キリスト教協議会の事務局長を務め、現地報道によると、86年には南アの英国国教会の最高位であるケープタウン大主教に黒人として初めて就任した。
 反アパルトヘイト運動の先頭に立ったが、武装闘争を進めた「アフリカ民族会議(ANC)」とは一線を画し、ハンガーストライキなど非暴力の運動を展開。84年にノーベル平和賞を受賞した。「白人がすべて角のはえた悪魔ではない」が持論で、白人知識層にも大きな影響力を持った。86年には当時のボタ大統領と非公開で会談するなど政府側との交渉にもかかわり、94年の民主化に貢献した。
 この年、ANCを率いていたネルソン・マンデラ氏が選挙によって大統領に就任した後、アパルトヘイト下での犯罪や人権侵害を調べる政府の公聴会「真実和解委員会」の委員長に任命された。最終報告書を提出した際には「この報告書は過去の傷を癒やすのには欠かせないものだ」と訴え、国民に改めて過去の清算と和解を求めた。
 一方、ツツ氏は、大統領になったマンデラ氏の高給や、新たに国会議員となった反アパルトヘイト活動家たちの特権、南ア政府による武器輸出を公然と批判。マンデラ氏に苦言を呈することのできる「良心」として国民の尊敬を集めた。96年の大主教としての最後の説教では「犯罪や腐敗、そして貪欲(どんよく)さが社会にあふれると、南アの民主主義は破壊される」と警鐘を鳴らした。
 ラマポーザ大統領は26日に声明を出し、ツツ氏の死去を「私たちに解放された南アフリカをのこしてくれた傑出した世代との新たな別れだ」と悼んだ。また、ツツ氏について「アパルトヘイトに対抗する並外れた知性、誠実さを持つ不屈の人だった。彼はまた、アパルトヘイト下で抑圧や不正、暴力に苦しむ人々や、世界中の虐げられた人々への思いやりを持つ優しく傷つきやすい人でもあった」と評した。』

 1984年にノーベル平和賞を受賞したツツ大主教は、南アフリカアパルトヘイト(人種隔離)政策を進めることに対し信仰に基づき大きな働きをされました。ツツ大主教は私の目からは聖公会の良心と思われ、信仰者が人権や社会活動を行う理由を体現している存在と考えています。
 今回、特にこの伝記から多くの示唆をいただきました。『伝記 世界を変えて人々④ ツツ大主教』(偕成社)です。

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 現在、日本で出版されているツツ大主教の伝記はこの本だけです。この伝記は少年少女向けに書かれていますが、内容的には充実しておりお勧めです。
 この本の中で、1988年に当時の差別的な法律に反対してデモをしてツツ大主教が逮捕された時、法律に従わなかったり理由についてこう答えています。
「法律に従わなかったわけではありません。神様の御心に従っただけのことです。」
 別の時にアパルトヘイトについてこう言っています。「アパルトヘイトという人種差別は、人間としての誇りを奪い取り、砂ぼこりの中でもみくちゃにし、足で踏みつけることなのです。」
 ツツ大主教たちの運動は平和的に抗議するものですが、後に大統領になったネルソン・マンデラが指導したアフリカ民族会議(ANC)もインドのマハトマ・ガンジーが実践した非暴力主義のやり方に従って抗議をしました。この「非暴力主義」はアメリカの公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師にも取り入れられ、その後、ツツ大主教に引き継がれたのでした。
 ツツは秘密警察に殺された黒人の指導者(スティーブ・ビコ)の葬儀で説教した後、参列した人に「南アフリカの白人(支配者・警察・特にビコを殺した秘密警察)のためにも祈りましょう」と呼びかけました。
 ある時の演説ではこう言っています。「アパルトヘイトは、聖書の言葉やキリスト教精神とくいちがっています。だからこそ、完全な悪であり、不道徳なのです。」
 また、「神様は、すべての人間を平等に創られたので、他の人間を差別するような法律は、神様に対しても罪悪なのです。」と言って、生涯を通じて、愛と平和と和解を訴え続けました。
 これこそキリスト者が社会運動に取り組む基本的な姿勢だと思います。つまり、神の教えと照らし合わせ、それに基づき活動するということです。

 この本には1986年に大主教になったツツの一日の様子が記されていますが、それによると、毎朝4時から、長時間祈り、一日のエネルギーを充電することが紹介されています。ツツ大主教はこう言っています。「朝、たっぷり黙想しないと気持ちのよい一日が送れません。黙想が足りないと歯磨きを忘れるより不快な気分になります。」
 ここに彼の活動(働き)の原動力があったのです。「祈り」、神様との時間を十分とるということです。
 この本の「解説」で、当時の首座主教、木川田一郎主教様はこう言っています。「1988年のランベス会議でツツ大主教は牢獄に入れられているネルソン・マンデラはじめ多数の人々の釈放と亡命した人々が帰国できるよう祈ってほしいと訴えられ、会議は予定を変更して、全員が断食し、一晩じゅう祈ることにしました。ツツ大主教は、正しい祈りは神様に聞かれると確信して、絶えず祈る『祈りの人』であります。」
 私たちキリスト者が社会の不正に対して抗議するのは、目の前の現実が神様の教えと違っているからです。信仰に基づいた行動です。私たちの人権活動もそこに立脚点があると考えます。そして、その原動力は、「祈り」であり、「日々の黙想」を十分行うことから、その働きが生まれるのであります。