マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

聖霊降臨後第7主日(特定10) 聖餐式 「主イエス様による派遣」

 今日は聖霊降臨後第7主日です。新町の教会で聖餐式を捧げました(前橋は「み言葉の礼拝)。聖書箇所はエフェソの信徒への手紙1:1-14とマルコによる福音書6:7-13。説教では、イエス様の12弟子の派遣から神様の御心を知り、宣教の意味等について思い巡らしました。また、清貧の姿で神の国を宣べ伝えた「聖ドミニコ」やテーマに関連する本日の使徒書の箇所にも言及しました。

    「主イエス様による派遣」

<説教>
父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 本日は聖霊降臨後第7主日です。先ほどお読みしました本日の福音書箇所は、聖書協会共同訳聖書では「12人を派遣する」という表題がついています。マルコ福音書では、3章で12人の弟子が選ばれていました。ずっとイエス様のそばにいて、イエス様のなさることを見てきた弟子たちが、いよいよ派遣されるのが今日の箇所です。

  今日の福音書箇所のマルコ6章7節に「二人ずつ遣わすことにされた。」とあります。なぜ「二人ずつ」なのでしょうか? これについてはいろいろな意味が考えられると思います。申命記の中に「裁判のときに複数の証人がいればその証言は確かである」ということが述べられています。神の国を証しする場合も同様に考えられているのかもしれません。また、二人が一緒に旅をするならば互いに助け合うことができ、心強いことも確かです。さらに言えば、互いに助け合い、愛し合う姿を通して神の国・神様の愛を伝えることができる、とイエス様はお考えになったのかもしれません。
  12人の弟子たちを二人ずつ遣わされたイエス様がその際に与えられた指示や教えは大きく3つありました。
 第1は、イエス様は弟子たちに履き物と杖以外は何も持って行かないように命じています。履き物は、石ころだらけの道を歩いていく上で、必要不可欠です。杖はさそりやその他の危険から身を守るのと、遠い目的地を目指して足を運ぶのに助けになります。食料・お金・衣類、その他の生活に必要なものはすべて神様が計らってくださる。袋を持たないのは、人からもらった物を自分の財産として貯め込まないためです。主は、宣べ伝える者は物にとらわれることなく身軽で自由になって、ひたすら神の国の福音を伝えることに専念することが大事と教えています。
 第2は、イエス様は、宣教地で滞在する所は1カ所に絞り、そこにとどまるように命じています。もっと待遇の良い場所、居心地の良い所を求めて居場所を変えたりしないようにと。与えられたその場で、今の私たちに即して言えば、それぞれの職場や家庭や地域等で宣べ伝えることを主はお望みなのだと思います。
 第3は、弟子たちが必ずしも歓待されるわけではないこと、全く耳を傾けてもらえず拒否される可能性もあることを記し、その場合は「足の裏の塵を払い落とす」よう命じています。当時のユダヤの慣習では「足の裏の塵を払い落とす」というのは絶縁を意味する表現です。使徒パウロが同じような仕草をしています。イエス様は弟子たちに「耳を傾けてくれない人々には絶縁せよ」と言っているのでしょうか? そうではなく「福音を受け入れない人をどうにかしようとするよりも、福音を必要としている人の所へ向かえ」という意味ではないでしょうか? これは「あなたたちのことは神様の裁きに任せる」ということであり、福音を受け入れない人に対して「恨んだり、自分で復讐しようとはしない」ということだと言っても良いように思います。
  大きく3つの指示や教えを与えられた弟子たちは、出掛けていき人々に悔い改めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、多くの病人を癒しました。これはイエス様がなさってきたことと同じです。まず先生である主イエス様が模範を示し、弟子たちがそれに倣うという形です。なお、「宣べ伝える」と訳された言葉はギリシア語では「ケリュッソー」で、新共同訳聖書では「宣教する」と訳されていました。この言葉は「何かの教えを宣べる」というよりも、「神の国を宣べ伝える」ことです。これこそがイエス様の活動の中心でした。
 
 清貧の姿で、神の国を宣べ伝えた人物として、私が思い浮かべるのは「聖ドミニコ」です。聖ドミニコについては、この本「聖ドミニコ(アルバ文庫[聖人伝])」に詳しく述べられています。

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 聖ドミニコについて、このようにまとめてみました。
聖ドミニコカトリックの修道士で、修道会のドミニコ会の創設者です。1170年に、スペインの農村で生まれ、6歳から母方の叔父が首席司祭を務める教会で勉強しました。14歳から28歳までパレンシアの学校で、6年間は人文科学と哲学を学び、4年間は神学を学びました。しかし、多くの飢え渇く貧しい人々がいるなか、勉強ばかりしていられないと思い立ち、自分の持ち物を全て施しました。意欲に燃えてアナトリアへの伝道を教皇に申し出て、異端であるカタリ派の蔓延する地方に送られ、そこで宣教には熱情と厳格主義が必要と悟り、それ以後は清貧の生活に入りました。
 この頃、異端の信者達をどうにか回心させたいと祈っていたところ、聖母マリアが現れてドミニコにロザリオを渡したという逸話があります。
 ドミニコは、どんな相手でも神の慈しみによって存在している尊い命であるという認識を忘れず、まずは自分の心を開いて、相手からも学ぼうという謙虚な姿勢で対話に臨みました。その過程で、相手の中から真理を探そうと努力しました。このような方法で南フランス、スペイン等を旅して説教をしてまわり、回心する者はたちまち増えました。同時にドミニコに共感する者たちも集まるようになり、1206年にドミニコ会(説教者兄弟会)を結成し、1216年に教皇ホノリウス3世に認可されました。ドミニコは3度司教になるよう勧められますが全て拒み、司祭のまま1221年に死去しました。ドミニコの生涯は真理を求める一生であり、その説教は真理に基づいた説教だったと伝えられています。』
 聖ドミニコは、清貧の中、物にとらわれることなく身軽に、ひたすら神の国や福音を宣べ伝えることに専念したのでした。

 清貧の中で神の国を宣べ伝えたイエス様の弟子たちやこの聖ドミニコに倣い、私たちもそうすることをイエス様は求めておられます。さらに、私たちはそれぞれの場に、イエス様によって「神の国を宣べ伝える」ために派遣されていることをおぼえたいと思います。しかしながら、宣教や派遣を義務のようにとらえたら、それは主の御心ではありません。
 そのことに関係して、本日の使徒書を見たいと思います。
 パウロはエフェソの信徒への手紙の1章で、まず、「天地創造の前にキリストによって私たちが選ばれている」ことを述べた後、6節でこう言っています。「それは、神がその愛する御子によって与えてくださった恵みの栄光を、私たちがほめたたえるためです。」と。
 神様は、私たちを愛するがゆえに、何ものにも比べられないような素晴らしい「恵み」を、愛する御子によって与えてくださり、私たちがその「恵み」をほめたたえるために、私たちを選ばれたのです。
 まさに、神様の愛や恵みは私たちの信仰や宣教に先行して与えられているのであります。恵みを受けることがまず最初にあり、そこから悔い改めが生まれ、奉仕を導き、さらに、福音を宣べ伝えるということにつながるのだと思います。

 皆さん、私たちはうち捨てられた取るに足りない者ですが、人生のある時、イエス様によって拾われ恵みを与えられた者であります。それはまさに、「驚くべき恵み(Amazing Grace)」です。私たちはその恵みに感謝し、日々の生活の中で身の周りの人に神様の愛や福音を宣べ伝えることができるよう祈り求めたいと思います。