マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「アメイジング・グレイスとジョン・ニュートン」に思う』

 一週間前、映画「アメイジング・グレイスアレサ・フランクリン」について記しました。この映画を見た熱い思いは今も残っています。先日のブログではこの聖歌・讃美歌「アメイジング・グレイス」の歌詞そのものについては映画でアレサが歌っていた2節しか紹介できませんでした。讃美歌「アメイジング・グレイスAmazing Grace)」は「いつくしみ深き」と並ぶ有名な讃美歌であり、多くの歌手が歌っています。思いつくだけでもマへリア・ジャクソン、プレスリー、ヘイリー、ジョーン・バエズ、レーナ・マリア、本田路津子白鳥英美子本田美奈子等々を挙げることができます。作詞をしたのはジョン・ニュートンという英国国教会の牧師であり、曲はアメリカ南部の牧場で労働者たちが働きながら歌った「小羊を愛して(Loving Lambs)」というアメリカ民謡のメロディーのようです。
 今回は「アメイジング・グレイス」の歌詞と作詞をしたジョン・ニュートンについてスポットを当てて思い巡らしたいと思います。
 「アメイジング・グレイス」とジョン・ニュートンについては、この本「ゴスペルの力」(塩谷達也著)でも大きく取り上げられています。

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 この本の中の「ゴスペル人物伝」では1番目にジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)の名前が挙がっています。ちなみに2番目はマヘリア・ジャクソン、アレサ・フランクリンは6番目でした。
 この本等でこのように記されています。
ジョン・ニュートンは1725年、英国に生まれた。ニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。
 当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪だった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていた。1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだった。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。ニュートンはこの日を転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようになり、1755年、ニュートンは奴隷船を降り、勉学を重ねて39歳で英国国教会の牧師となった。
 そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。・・・』
 ジョン・ニュートンの人生を思うとき、この歌詞では、奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにもかかわらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われていると言えます。彼はその後、ウィリアム・ウィルバーフォース議員と協力して奴隷解放運動に尽力し、1807年、81歳の時、英国国会で奴隷貿易の廃止が決定され、82歳でジョン・ニュートンは死去しました。

 ジョン・ニュートン自身が作詞した歌詞を下に示します。

Amazing grace! how sweet the sound That saved a wretch like me!
 I once was lost but now am found Was blind, but now I see.
2‘Twas grace that taught my heart to fear. And grace my fears relieved;
 How precious did that grace appear, The hour I first believed.
3Through many dangers, toils and snares. I have already come;
‘Tis grace has brought me safe thus far, And grace will lead me home.
4The Lord has promised good to me, His word my hope secures;
 He will my shield and portion be, As long as life endures.
5Yes,when this flesh and heart shall fail, And mortal life shall cease;
 I shall possess, within the vail, A life of joy and peace.
6The earth shall soon dissolve like snow The sun forebear to shine;
 But,God who called me here below, Will be forever mine.

 日本語訳を載せます。

1驚くべき恵み なんと甘美な響きだろう 私のように卑劣(悲惨)な者を救 って下さった
 かつては迷ったが今は見つけられ、 かつては盲目であったが今は見える
2神の恵みが私の心に恐れることを教え、 そして、これらの恵みが恐れから 私を解放した
 どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、 私が最初に信じた時に
3多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、 私はすでに辿り着いた
 この恵みが、ここまで私を無事に導いてくださった だから、恵みが私を家 に導くだろう
4神は私に良い事を約束して下さった 彼の言葉は私の希望の保障である
 彼は私の盾と分け前になって下さる 私の命が続く限り
5そう、この体と心が滅び、 私の死ぬべき命が終わる時に、
 隔ての幕の内に得るものがある それは、喜びと平和の命である
6地上はまもなく雪のように白くなり、 太陽は光を失うだろう
 しかし、私を御許に召して下さった神は、 永遠に私のものになる

 「アメイジング・グレイスAmazing Grace)」の歌詞はジョン・ニュートンの人生が反映されている一方で、聖書からの引用や影響を見ることができます。
  例えば、1節の卑劣(悲惨)な者(wretch)を端的に示しているのは使徒パウロによる以下の聖句です。
『私はなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰が私を救ってくれるでしょうか。』(ローマ人への手紙7:24)
 失われて(lost)しかる後に見出される(found)ことは、「放蕩息子」の例え話に結びつくと考えます。
『この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』(ルカによる福音書15:24)
 さらに、光を失った(blind)者が視力を再び得ることは、イエス様に癒された男性の発言と関連づけられると思います。
『ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです。』(ヨハネによる福音書9:25)

  ジョン・ニュートンは自分を卑劣で悲惨な者と自覚し、そのような者が主イエス・キリストによって救われ新たな人生を歩むことができた喜びを歌っています。讃美歌「アメイジング・グレイスAmazing Grace)」が多くの歌手によって歌われ、テレビドラマやCM等でも取り上げられ、日本人を含む多くの人に親しまれ感動を与えているのは、罪深い人間を救ってくださる神の愛と恵みが親しみ易いメロディーに乗せて歌われるからとも考えます。私たちはこの聖歌・賛美歌を歌うとき、どのような者も見捨てない神の深い愛を思い、それを「驚くべき恵み(Amazing Grace)」ととらえ、感謝し、さらにそれに応えてそれぞれに与えられた使命を果たすことができるよう祈り求めたいと思います。