マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『聖歌434番「深い悩みの世の中にも」(Home, sweet home)に思う』

 先主日聖霊降臨日でした。その礼拝の退堂聖歌に434番「深い悩みの世の中にも」を取り上げました。その曲の3節で聖霊のしるしについて言及していたからでした。聖歌434番のオリジナルは唱歌「埴生の宿(Home, Sweet Home)」であることまでは話しましたが、それ以上は触れることができませんでした。そこで、今回は聖歌434番「深い悩みの世の中にも」(Home, Sweet Home)」について思い巡らしたいと思います。
 「埴生の宿(Home, Sweet Home)」とこの聖歌の関係については、この本『賛美歌・唱歌ものがたり〈2〉「大きな古時計」と賛美歌』が多くの示唆を与えてくれました。

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 この本にこうあります。
『1889(明治22)年に発行された『中等唱歌集』に「ホーム・スイート・ホーム」が「埴生の宿」という題で紹介されました。里見 義(1824ー86)の作詞によるものです。その6年後の1865(明治28)年に、この歌の曲をつけた賛美歌が「基督教聖歌集」という本に収録されました。これは、この曲を用いた米国の賛美歌の邦訳でしたので「ホーム・スイート・ホーム」の曲は、まず唱歌として日本人に知られたわけです。』

  「埴生の宿」の歌詞はこうです。
『1 埴生の宿も わが宿 玉のよそい うらやまじ
      のどかなりや 春のそら  花はあるじ 鳥は友
      おお わが宿よ たのしとも たのもしや
  2  ふみよむ窓も わが窓  瑠璃の床も うらやまじ
      きよらなりや 秋の夜半(よわ)  月はあるじ むしは友
      おお わが窓よ  たのしとも たのもしや  』
 「埴生」とは、「粘土性の土の雅語的表現」で、「埴生の宿」とは「土で塗った、みすぼらしい家」のことです。「玉のよそい」、「瑠璃の床」とは、宝玉をちりばめたような立派な豪邸のことで、そんな豪邸など「うらやまじ(うらやましくない)」と述べています。「ふみよむ窓」は、日本の唱歌蛍の光』の歌詞にもあるように、窓のそばで蛍の光や月明かりで本を読むような貧しい生活を象徴しています。

 ちなみに、映画『ビルマの竪琴』では、この『埴生の宿』が感動的なシーンで歌われていました。タイの国境付近の村で、日本の小部隊が何千というイギリス軍に囲まれます。その時、日本兵が『埴生の宿』を日本語で歌うと、それを聴いたイギリス兵が英語で「Home, sweet home」を合唱しました。一つの歌で心を通い合わせた両軍は、戦闘を止めました。「歌は国境を越える」。そんな言葉の意味を実感させるシーンです。そしてそれは、この「Home, sweet home」という曲の魅力に負うものと思いました。

 「Home, sweet home」の原詩はこうです。
『1 Mid pleasures and palaces though we may roam,
    Be it ever so humble, there's no place like home.
     A charm from the skies seems to hallow us there,
     Which, seek thro' the world, is ne'er met with elsewhere.
     Home, home, sweet, sweet home,  There's no place like home,
     There's no place like home.
 2 An exile from home splendour dazzles in vain
     Oh, give me my lowly thatch'd cottage again!
     The birds singing gaily that came at my call
     Give me them with the peace of mind dearer than all.
     Home, home, sweet, sweet home,  There's no place like home,
     There's no place like home. 』

 大塚野百合はこの詩をこう訳しています。
『1 快楽を与えるところや宮殿などを巡っても、ホームほど素晴らしいところはな  い、どのように貧しくとも。
   天からの不思議な力(チャーム)が私たちを潔めて(ハロー)いるのだ。そのような力は、世界中を探しても、他には見つからない。
       ホーム、ホーム、スイートホーム、ホームのような所はどこにもない。
 2  ホームを捨てたとき、栄華に目が眩むが、それも空しい。
      ああ、私のささやかな藁葺き屋根小屋を返してくれ。
      私の声で飛んできて、陽気に歌った鳥たちを、そして、なによりも一番大事な心の憩いを返してくれ。
      ホーム、ホーム、スイートホーム、ホームのような所はどこにもない。』
 これは単に故郷を懐かしがる歌ではありません。自分のホームとは、そこを神が潔めて(ハロー)いる所です。そして、作者が求めているのは、故郷の自然ではなく心の憩いなのです。唱歌「埴生の宿」とはだいぶ違う印象です。

 「Home, sweet home」はジョン・ハワード・ペイン(John Howard Payne、1791~1852年)の脚本、ヘンリー・ビショップ(Henry Bishop、1786~1855年)の作曲による1823年のオペラ「クラリ、ミラノの乙女(Clari, or the Maid of Milan)」の中で主人公クラリの歌うアリア「故郷! 懐かしき故郷よ!(Home! Sweet Home!)」とのことです。

 この曲に合わせて、イギリスのバプテスト教会の牧師David Denham が1826年に書いた“Mid scenes of confusion and creature complaints”という歌詞の版は多くの讃美歌集に取り入れられました。日本でも首藤新蔵編『讃美歌』(1903)「みだれやうらみの世にて」および1903年版『讃美歌』354番「わづらひおほき」となり、後者は1931年版『讃美歌』にも引き継がれましたが、1954年版『讃美歌』では省かれました。しかし、我が聖公会の『古今聖歌集』では491番「わずらいおおき世の中にも」として存続し、現行「聖歌集」でも歌詞を現代風にして 434番「深い悩みの世の中にも」として掲載され、多くの信徒に親しまれています。
 聖歌434番は下のアドレスのYoutubeで字幕入りで聴くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=H2izQMlDbf8

 聖歌434番の歌詞はこうです
『1 深い悩みの世の中にも 聖なる者の集いに入り
      主イエスのもとにわれ招かれ 喜び満つる宴につく 
      ああ すばらしい 天(あま)つ み国の われらの家 
 2 われらを結ぶ主の平和と 絶えることなき主イエスの愛
       悲しみしずむ日のうちにも 心に満つ主のみ恵み
    ああ すばらしい 天つ み国の われらの家   
 3 聖霊による 主のしるしと 神のほほえみ 満ちあふれる
   み国にのぼる 日の来るまで 安らぎ与え 守りたまえ
   ああ すばらしい 天つ み国の われらの家 』
 天のみ国であるわれらの家の素晴らしさ、また、それをこの地上で先取りする「聖なる者の集い」である教会、そこで行われる「喜び満つる宴」である聖餐式等を高らかに謳っています。下手な説教よりこの聖歌一つで、神の愛、聖奠(サクラメント)、キリスト教の死生観、祈りの真実等が分かります。

  David Denhamによる原詩はこうです。
『1 Mid scenes of confusion and creature complaints,
    How sweet to my soul is communion with saints;
       To find at the banquet of mercy there's room,
       And feel in the presence of Jesus at home!
       (Chorus)
       Home, home, sweet, sweet home,
       Prepare me, dear Savior, for heaven, my home.
 2 Sweet bonds that unite all the children of peace;
    And thrice blessed Jesus whose love cannot cease:
       Though oft from Thy presence in sadness I roam,
       And feel in the presence of Jesus at home!
       (Chorus)
  3 Whatever Thou deniest, O give me Thy grace,
       The Spirit's sure witness, and smiles of Thy face;
       Inspire me with patience to wait at Thy throne,
       And find even now a sweet foretaste of home.
       (Chorus)

 訳してみます。
『1 この世のわずらいに心が乱れているとき、聖徒たちと魂の交わりを持つことはな んと素晴らしいことか。
   神の恵みの宴に私の席があることを知り、イエス様の御前で憩うことができるのは。
  (折り返し)
   ホーム、ホーム、スイートホーム。
   親愛なる救い主よ、私に備えて下さい、天にホームを。
 2 平和の子たちと結ぶ愛の絆よ、
   愛が絶えることのない、この上なく貴いイエス様、
   私はしばしばあなたのもとからさまよいでますが、ホームでイエス様の御前に憩 います。
   (折り返し)
  3 主は何も受けるものはなくとも、その恵みを私にお与えください。
   聖霊を確かに見ます、そして主の顔の笑みを。
   あなたの王座で待つことを忍耐できるよう励ましてください。
   今ここに、み国の尊き先ぶれをお示しください。
     (折り返し)

 素晴らしい歌詞です。この歌詞の「ホームhome」は「魂のふるさと、天のみ国」を意味しています。聖徒たちとの魂の交わり、聖餐式に招かれ、イエス様の前で憩う喜びがあふれています。そして、天にホームを備えることと共に、その先ぶれを今ここで示して下さるように祈っています。
 
 前橋聖マッテア教会の教会墓地の墓石には「私たちの国籍は天にあります。」(フィリピ3:20)という聖句が刻まれています。私たちは本来の国籍(本籍)は「魂のふるさと」である天のみ国であることを確認し、それを待ち望みながらも、その先触れである教会を今ここでの「魂のふるさと」として、聖徒たちやイエス様と交わり、聖霊と主のほほえみを実感することができるよう祈り求めたいと思います。