マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

聖霊降臨日 聖餐式 「聖霊を受け使命を果たす」

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 今日は聖霊降臨日です。午前、前橋の教会、午後、新町の教会で聖餐式を献げました。聖書箇所は使徒言行録2:1-11とヨハネによる福音書20:19-23。説教では、聖霊により「救いの業を行う」という使命が与えられたことを知り、それを果たすことができるよう、聖霊の助けを祈り求めました。聖霊のしるしが示されている今日の退堂聖歌434番にも言及しました。

   「聖霊を受け使命を果たす」

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 今日は聖霊降臨日(ペンテコステ)です。クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の3大祝日の一つです。聖霊降臨日はイエス様の復活から50日目に聖霊が降ったことを記念する日です。伝統的に、復活節(イースターシーズン)の終わる今日までパスカルキャンドル(復活ろうそく)をともします。明日からは聖霊降臨後の節に入ります。  

 先ほど読んでいただいた使徒言行録2章では、五旬祭というお祭りで人々が集まっている時に弟子たちに聖霊がそそがれた出来事が語られています。五旬祭は、イスラエル民族がエジプト脱出(過越)から50日目にシナイ山モーセを通して神の言葉(十誡)を受けたことを祝うお祭りです。そのお祭りの日にイエス様の弟子たちに聖霊が降ったのです。ちなみに聖霊降臨日を「ペンテコステ」というのは、ギリシア語の50日目を意味する言葉(ペンテコステ)に由来します。そして聖霊が最初のメンバーにくだった後から、そこにいた弟子たちは励まされて、聖霊の力によって多くの人々に福音を伝えるようになりました。聖霊の力を受けたこの日、弟子たちの宣教の働きが始まったのです。そこで、聖霊降臨日は教会の誕生日とも言われます。

 これが使徒言行録が伝える「聖霊降臨」の出来事です。新約聖書には、もう一つ、弟子たちの上に、聖霊が降ったという出来事が記されています。
 それが先ほどお読みした今日の福音書の箇所、ヨハネによる福音書20章19節以下に記された出来事です。イエス様の十字架の三日後、マグダラのマリアに復活の姿を見せたその日の夕方、エルサレムのとある家の部屋に弟子たちが密かに集まっているところに復活した主イエス様が現れた箇所です。

 今日は、今回与えられている箇所の中からヨハネによる福音書20章21・22節について思い巡らしたいと思います。
『イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。』
 復活した主イエス様に会え喜んでいる弟子たちにイエス様は、2回「あなたがたに平和があるように」と言います。おそらくイエス様はアラム語で「シャローム」とおっしゃったと考えられます。 
 ユダヤ人の間で言う「シャローム(平和)」は普通の挨拶です。私たちも手紙やメールの冒頭に「主の平和」と書いたり、礼拝の中で「主の平和」と挨拶しています。イエス様がおっしゃった1回目の「シャローム」は挨拶かもしれませんが、2回目の「シャローム」は単なる挨拶以上の意味を込めて「平和が」と述べたと考えられます。この「平和」は、神からの賜物であり、イエス・キリストを通して神から人に与えられた「救い」という恵みの賜物を意味します。これまで父である神に派遣された者としてイエス様が地上で行ってきた「救い」の業を、今度は弟子たちが行っていくことになります。そして弱い人間である弟子たちが、その使命を果たすことができるように「聖霊」という「神からの力」を受けなさいと言うのです。
 「聖霊」とは何でしょうか? 「聖霊」の「聖」は「神の」という意味です。「霊」はギリシア語で「プネウマ」、ヘブライ語で「ルーアッハ」と言い、どちらも本来、「風」や「息」を意味する言葉です。聖霊は目に見えないので、その働きを感じさせるしるしをもって表現されています。使徒言行録2章では「激しい風が吹いてくるような音」(2節)や「炎のような舌」(3節)がそれにあたり、ヨハネ20章では「息を吹きかけ」(22節)がそのしるしです。
 
 このことを示しているのが、この後、退堂聖歌で歌う聖歌434番「深い悩みの世の中にも」です。3節をご覧ください。ここでは、聖霊のしるしと、さらに「天の御国を我らの家」と歌っています。歌詞はこうです。
『3 聖霊による 主のしるしと 神のほほえみ 満ちあふれる
   み国にのぼる 日の来るまで 安らぎ与え 守りたまえ
   ああ すばらしい 天(あま)つ み国の われらの家 』
 この歌詞は、先日、私たちの教会の信仰の先達であるY・S・M兄が帰天されたことを思うとき、新たな響きを与えます。M兄が昇天日にイエス様と共にのぼられた天のみ国は、聖霊による風や炎や息のようなしるしと神様のほほえみがあふれる本来の私たちのふるさと、私たちの家なのです。今、M兄はそこにイエス様と共におられます。そして、教会はその天のみ国の先取りをこの地上で行う場所なのであります。聖歌434番の1節にある「聖なる者の集い」がそれです。さらにいえば「喜び満つる宴」が今行っている聖餐式なのであります。

 ちなみに、この曲のオリジナルは唱歌「埴生の宿(Home, Sweet Home)」です。「埴生の宿」と聖歌・讃美歌との関係では、この本、大塚野百合監修「こころの賛美歌・唱歌」の中にこうあります。

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『「埴生の宿」も「Home, Sweet Home」も懐かしい我が家を思う曲ですが、デビッド・デンハムというイギリス人の牧師が歌詞にあるホーム(Home)を地上のホームでなく天のホームと読み替えて賛美歌を作りました。』
 今日は時間がないのでこれ以上お話しできませんが、できればブログでこのことについて記そうと思いますので、よろしければそちらをご覧下さい。

 皆さん、イエス様の復活から50日後に弟子たちに聖霊が降ったように、その弟子に連なる私たちにも聖霊が降っています。この聖霊によって、父なる神様と交わることができ、この聖霊の力によって、主イエス様と同じ働き(救いの業)を行うことができるようになるのです。
 
 今日は聖霊降臨日です。聖霊により派遣・宣教の使命を与えられた信仰共同体である教会が誕生した日です。私たち一人一人も聖霊によって神様と交わり、力をいただいたことを喜び、救いの業の使命を果たすことができるよう、聖霊の助けを祈り求めたいと思います。